実際、「沙織」というモデル(先ほど紹介した「うれい顔モデル」とは別の、スタンダードモデル)は、「造形的にリアルすぎず、見る人の気持ち次第で笑っているようにも悲しむも見える、曖昧な部分を多く持った表情をしています。まるで能面のような顔を持つドール」*だそうで、ドールそのものが感情や意志を表現していたら、観る側の妄想も限定されてしまいます。*「人造乙女美術館」パンフレットより
男性の性的欲求を満たすためのドールとしては、以前、↓を紹介したことがあります。これ、わりとロングセラーの商品なんです。股間にオナホールをセットして使う、という使用方法は同じでも、オリエント工業のドールとは天と地ほどの差がありますね。でも、「オリエント工業のドールは高くて買えないから、コッチで我慢する」のではなく、こののっぺらぼうのドールが好き、という愛好家がいるのです。
究極に空っぽのドール
私はこれを見るたびに男性の妄想力に感心してしまいます。これでヌケるってスゴイ。女性にはない感性です。彼らにいわせると「好みでない顔がついているくらいなら、まったくないほうがいい」とのことで、究極に空っぽなドールなのです。「結局オトコは穴が開いていて、中身が空っぽっていうのが最もヌキやすいってことか!」と思わなくもないのですが。
と考えると、ラブドールは情報量が多すぎてそこまで「空っぽ」とはいえないのではないか、と思えてきました。むしろ、「記号」をどっさりつめ込まれています。大きなオッパイに華奢な腰、薄ピンクの乳首といったリアルなようで現実離れしたボディも、毛穴もシミも一切ない肌も、常に上気した頬も潤んだ瞳も、ツヤツヤふっくらリップも……。すべて男性を欲情させるために散りばめられた記号。その集合体がラブドールです。
だからその記号を外し、日本画美人と化した彼女たちには、色気はあっても欲情スイッチを押すエロさはないのです。日本画の物語や世界観が確立されていて、そこに妄想の入り込む隙がない。チープな記号などすべて弾き飛ばしてしまっています。同展の狙いのひとつに「人形の新たな側面を違う角度から見つめなおす」といいますが、その結果がラブドールとしてのエロさを失うということなのだから、なんともアンビバレントです。
そして、こうした記号に満ちあふれたドールに性的な反応してしまう自分は、男性の視線を内面化しているのかもしれない、と気づきました。女性を記号で見る男たちに「ファッ◯ユー!!!」といってきたるもりなのに、実際は自分もそれに取り込まれている……。たいへん複雑な気分ですが、今後、掘り下げる必要がありそうです。
(桃子)
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