酒井順子『子の無い人生』(角川書店)がすくい取る未産女性の胸の内
そういう既婚子無し女性のモヤモヤを見事にすくい取っているのが、酒井順子さんの『子の無い人生』だ。酒井さん自身は未婚で、子供はいない。かつて『負け犬の遠吠え』(講談社)を発表した際は、女を「結婚しているかどうか」で線引きしていたが、四十代になって、“女性の人生の方向性には、「結婚しているか、いないか」よりも、「子供がいるか、いないか」という要因の方が深くかかわる”(p11)とわかったと書いている。
もう開始11ページで、「そう、そうなのよ!」と私は頷きまくってしまった。結婚しても夫婦二人なら(特に共働きの場合)、独身時代と生活はそう変わらない。でも、子供ができると途端に生活リズムが変わり、興味の対象も交友関係も変わる。既婚子無し女性は、独身女子の会には呼ばれず、かといって母と子の会にも呼ばれず、実に宙ぶらりんな立場だ。夫婦としても「お子さんはまだ?」と飽きるほど聞かれ、子供のいない夫婦はまだまだ「過渡期」とみなされるんだなと痛感する。挙句の果てには、「子供作らないなら、なんで結婚したの?」とさえ言われる。夫婦二人で家庭を築いちゃダメなのか? 「産んでない」ことに対する風当たりはきつく、どうも暗いイメージが付きまとう。
酒井さんの指摘は実に鋭く、先述したSNSでの出産や育児投稿が「皆と一緒」を好む日本人に効果的な少子化対策になってるのでは、と書かれている。むむむ。私自身まさにそのメカニズムにはまっている一人だ。私の周りの女性はキャリア志向が強く、世間一般に比べると結婚も出産も遅めだ。だから、20代のうちは独身者と「子無し夫婦」だらけで、私の心も凪いでいた。ところが、やはり30を一つの目安にする女性は多いようで、ここのところ出産ラッシュだ。第二子出産のニュースもチラホラ。【ご報告】は少しずつ心を揺さぶるようになってきた。
他にも、『一人前』の章で“「結婚と子供によって人は一人前となる」”(p57)という言説について、持論を展開している。この言説、子供のいない女には結構響くのだ。よく「人の親なら」とも言うように、どうも「子を育ててないと人として未熟だ」と言われているようで、またシミの原因になる。雑誌でもテレビでも「働く女性特集」で礼讃されるのはたいていママだ。「○児のママ」というフレーズは殊更強調され、バリバリ働く外での姿と、ママとしてのプライベートの姿が揃ってこそ、キラキラした女性として認定されるのかと邪推したくなるほど、ワーママ礼讃の空気は強い。
そこへ酒井さんは、それも一理あるけど、でもね……と明るく穏やかに反論していて、なんだか救われる。
この本全体を通して印象に残るのは、個人の選択の権利をやたらとふりかざすでもなく、大仰に悲劇的になるでもなく、淡々と、ときにユーモアを混じえながら問題を追っていく著者のスタンスだ。そのおかげで、こと紛糾しやすい「子供をもつか否か」というテーマを、真剣ながらも心穏やかに考えさせてくれる。
「リミット付き」かつ「引き返せない」 だから苦しい
子供をもつかの選択は不可逆だ。産んだら、どんなに体力的に無理になっても育てる義務がある。お母さん業に「退職願」はない。逆に、産まないと決めて、出産可能な年齢を過ぎたら「やっぱり産みます」とは言えない。この不可逆性が、他の選択とは違う難しさだと思う。
これまで私は常々この子供問題について、「40になったとき夫婦どちらかが後悔しないだろうか」と想像してきた。酒井さんは40代半ばだ。20代後半から30代、ちょうど「産むべきか、産まざるべきか」に悩む年頃の女性より少し上の世代の著者が、さまざまな葛藤を振り返りながら、問題を俯瞰する。そして自分なりの落としどころを綴っている。
悩みの渦中にいる世代の人が、考える材料や客観的な視点を得て、共感や発見をしながら自分なりに考えるきっかけとしてぴったりだ。私は今このタイミングでこの本に出会えたことに感謝したい。