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「声かけ写真展」批判の中にある2つの蔑視 ペドファイルフォビアとアートフォビア

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柴田英里

(C)柴田英里

 5月4日~8日まで、東京都世田谷区のIDD世田谷ものづくり学校で展覧会『声かけ写真展』が開催され、展覧会終了後にインターネットを中心に物議を醸しました。

 先に私の結論から述べますと、『声かけ写真展』は非難・批判されても仕方ないものですが、非難・批判の中に、小児性愛者を差別するものや、「アートフォビア」とも言うべき表現者に対する差別や偏見が散見されたことが遺憾です。

 『声かけ写真展』に足を運んだお客や関係者が、展示風景をインターネット上にUPしていますが、その様子は、「展示会場は中学校だった建物のリノベーション施設。教室をほぼそのまま残した空間で、昔の少女たちの息づかいを感じてください」という展示コンセプトと意図に合っているように思えます。また、「今はほぼできなくなった撮影方法で撮られた写真を廃校で展示する」という試み自体は有意義であると支持します。個々の作品に関して、肖像権などの観点から論じることは、今回は控えます。

 この展覧会が批判される理由は、「かつてはよく行なわれていた撮影法であっても、現在は声かけ事案として問題になる」作品を、展示のみだけでなく販売することの是非など、様々ありますが、一番大きいのは、『声かけ写真展』公式サイトのステイトメントやガジェット通信に掲載された記事での主催者のインタビューの内容が、明らかに子供を持つ親をはじめとした多くの人にケンカを売っているような内容であったことでしょう。

 『声かけ写真展』公式サイトでは、「中年男性が女子小中学生に声をかけて撮影しただけの写真を集めました」とありますが、わざわざ「中年男性」「声をかけて撮影しただけ」といった、いかにも「別の意図もある」ということを匂わせてから、「公園に現れるカメラおじさんの、やさしいまなざし」「ノスタルジー」などという言葉を使って、「声かけ写真」は古き良き正当なものであるかのように演出しています。

 他方で、ガジェット通信のインタビューでは、「私たちは『モロ少女』、略して『MoRoS(モロス)』と呼んでいます。“本物の少女”や“スレていない少女”という意味合いです。ある意味“野生の少女”と言ってもいいでしょう」と、少女を一方的に「見られる者」と定義し、少女の個々の人格や感情を軽んじる発言をしていますし、記事タイトルの「古き良き時代の少女の姿がここにある」や、「少女というのは、神聖で、はかなくて、不可侵な存在だということ。」といった言葉からも、少女の人格や感情への配慮がありません。そのうえ、主催者のひとりが運営するアダルトサイトには、「あなたの携帯に眠るエッチな動画をお金にしてみませんか?」という記載もあります。いくら「声かけ写真展は全く違うプロジェクト」と言われても、多くの人が不信感や嫌悪感を抱くのは仕方がありません。

 こうした、子供を持つ親をはじめとした多くの人に不信感を与えながら煽るような“表現をする自由”はありますが、中学生男子のスカートめくりのような露悪的ホモソーシャルチキンレースに他なりませんから、ジェンダースタディーズの観点から批判されて然るべきです。「人を怒らせて煽る」という主催者側の行動に批判・非難があるのは当然です。が、しかし、その中に小児性愛者(ペドファイル)への偏見や差別があったことは大変遺憾です。

 小児性愛者を犯罪者予備軍扱いすることや、「ロリコンキモい」「成人男性が未成年の身体をまなざすことはけしからん」という形にして批判することには、小児性愛者差別や、問題のすり替えがありますし、「成人男性が未成年と関わること」と「成人男性が未成年を性的に欲望すること」と「成人男性が性犯罪を犯すこと」は、分けて考えられるべきです。

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柴田英里

現代美術作家、文筆家。彫刻史において蔑ろにされてきた装飾性と、彫刻身体の攪乱と拡張をメインテーマに活動しています。Book Newsサイトにて『ケンタッキー・フランケンシュタイン博士の戦闘美少女研究室』を不定期で連載中。好きな肉は牛と馬、好きなエナジードリンクはオロナミンCとレッドブルです。現在、様々なマイノリティーの為のアートイベント「マイノリティー・アートポリティクス・アカデミー(MAPA)」の映像・記録誌をつくるためにCAMPFIREにてクラウドファンディングを実施中。

@erishibata

「マイノリティー・アートポリティクス・アカデミー(MAPA)」

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