カルチャー

ピンク解放運動を追う 「女らしさ」に閉じ込められたピンクの歴史

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今年2月に刊行された堀越英美著『女の子は本当にピンクが好きなのか』(Pヴァイン)に、著者とその長女(おそらく小学生)の次のようなやりとりが出てくる。娘さんが、一人称を(関西人でもないのに)「ウチ」と名乗り、クラスの女子たちも「ウチ」ばかりだというのを著者が不思議に思い尋ねる。

「どうして〈私〉って言わないの?」
「〈私〉は恥ずかしい! ウチに似合わない」
「どうして〈私〉が恥ずかしいの?」
「〈私〉は……〈女性〉って感じがする」
「〈ウチ〉は〈女性〉じゃないの?」
「〈ウチ〉は〈元気な女の子〉って感じ。ほら、ウチ元気いっぱいでしょ? (ガッツポーズ)」

生き生きした1シーンで、読んでるこっちも元気になる。子育てってこういう場面に立ち会えるんやなぁと(関西弁で)つぶやきたくなる。しかしこのエピソードが語られるのは、この社会のもどかしい現状が示される中でのことだ。「女の子」に対する社会の期待は未だ、狭苦しい範囲に留まっている。容姿などのかわいらしさ、保守的な性別役割分担に繋がるような客体的な性質、女性の就く仕事のイメージにしても理系より文系だったりする。女の子が冒険的であることも勧められない。

そんな狭い「女性」像を「元気いっぱい」に突っぱねていた女の子も、いつしかそれにとらえられ、とらわれていってしまうことも多いのが現実なのだ。

もちろん、著者は娘さんに(そして他の女の子たちにも)そうなって欲しくないと考えている。執筆の出発点になったのも、著者自身の子育て中の体験だ。娘さんが、3歳になろうとする頃、ピンクにしか興味を持たなくなった(そして、女の子を持つお母さんに聞いてみると、皆、同じような体験をしているという)。

「女の子の色はピンク」だなんて押し付けだと思い、自由にいろいろなものを選べるようにしてあげたいと育ててきたのに、なぜ???  この問いが、もう1つの問いに展開する。そもそも、自分がピンクにこんなにもやもやしてしまうのはなぜ???

「二女の母としてのこんな素朴な疑問が、本稿を書かせるきっかけとなった」と書く著者だが、本書を通じてここから繰り出されていくのは、素朴なんてものじゃない怒濤のリサーチと考察だ。

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