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「めでたしめでたし」では済まされない北海道児童遭難事件 重要なのは「しつけ」と「虐待」の境界線ではない

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Photo by David Shankbone from Flickr

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北海道における児童置き去り・遭難事件は国内だけでなく、世界的に大きな話題となっています。欧米を中心に、ロシアやラテンアメリカでも報道されていましたが、その論調は「見つかってよかったね。めでたしめでたし」というようなものではなく、しつけとして虐待的な行為が許されてしまう日本への懐疑的な内容でした。たとえば、エクアドルの新聞もイギリスの新聞も「両親によって、罰として森に置き去りにされた少年」と報じています。その中で使われているpunishmentという単語は「虐待」「むごい扱い」といった意味が含まれる強い表現です。

「文化的な背景が異なるのだから、欧米の基準で日本の親の躾を虐待として断罪すべきではない」という意見もあります。また、警察は「事件性が無い」として、刑事責任を問わない、つまり児童虐待とはしないという判断を下しました。

親の責任であるはずの子どもの安全の確保をせず、行きすぎた行動を取ってしまう親、そういう経験をしたことのある親は少なくないないでしょう。それらをすべからく「虐待」ということは、「完璧な親でなければならない」というプレッシャーを過剰に与えてしまうことになります。しかし、だからこそ私達は「今後、同じようなことをしないように」「今後同じようなことがあったらどうするのか」を考えるためにも、しつけと虐待の境界線について自問する必要があるのではないでしょうか。

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古谷有希子

ジョージメイソン大学社会学研究科 博士課程。東京大学社会科学研究所 客員研究員。大学院修了後、ビジネスコーチとして日本でマネジメントコンサルティングに従事したのち、渡米。公共政策大学院、シンクタンクでのインターンなどを経て、現在は日本・アメリカで高校生・若者の就職問題の研究に従事する傍ら、NPOへのアドバイザリーも行う。社会政策、教育政策、教育のグローバリゼーションを専門とする。

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