連載

「こじらせてない側」の女性が感じる苦悩とは何か

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ひばりの朝

(ヤマシタトモコ『ひばりの朝 1』祥伝社)

ヤマシタトモコと魚喃キリコの作品に共通する「面倒くささ」

 「こじらせ女子」の定義は人それぞれで、『an・an』(マガジンハウス)誌上で星野源から「すげー嫌い。ダサい」という毒舌を引き出したインタビュアーは、「うがったものの見方をすることで“自分はわかってる”という選民意識を持つ、いわゆる“こじらせ系”女子」と表現していました。これに「私たちはそんなんじゃない!」「この人は本当のこじらせ女子をわかってない!」と猛反発が巻き起こったことも記憶に新しいものです。しかし漫画家、ヤマシタトモコの作品を読んで、私がまず思ったのは「これは『こじらせ女子』の漫画だなあ……」ということでした。

 『Love, Hate, Love』(祥伝社)を例にあげましょう。この作品の主題は、28歳までバレエに人生を捧げていたため「普通の女性」的な時間を送れなかった主人公の不器用な恋愛、となっています。主人公は、それまでに恋愛(=普通の女性ならば、まず通過すること、と主人公は思い込んでいる)をしたことがない。それゆえ、彼女には女性としての自信がない。その自信のなさが「女性として自分はダメである」という自己批判を身に付けさせ、生きづらさを感じながら生活せざるをえなくなってしまう……。この「自信の無さからくる生きづらさ」は「こじらせ」の基本だと、私は思います。ヤマシタトモコ作品が一部の女性たちから共感を呼ぶのだとしたら、まずはこの部分なのでしょう。

 短編集『ミラーボール・フラッシング・マジック』(祥伝社)の帯に、花沢健吾が寄せている「男が読むべき漫画です」というコメントは、かつて隆盛を誇ったSNSサイト「mixi」上に存在していた「男はみんな魚喃キリコを読め」コミュニティを彷彿とさせます。ヤマシタトモコも魚喃キリコも、ともに「男性がこの漫画を読むと、女の気持ちが分かる」ということなのでしょうが、男性側からすると「うっとうしいオンナの漫画だな……」と思う部分も多々あります。

 両者の作品には、「女性らしさ」に問題意識を持たない「普通の女性」に対して、「私は問題意識あるのに、どうしてお前らは自然に生きていられるのか!」と批判的な女性が登場しますが、これは「私が悩んでいるのだから、お前も悩め!」という「生きづらさの押し売り」にも見えます。このウザさは『このマンガがすごい! 2011』(宝島社)「オンナ編」の第1位に輝いた『Her』(祥伝社)で最高潮に達しています。これはメンドクセー女たちの群像劇としては、魚喃キリコの『strawberry shortcakes』(祥伝社)に比類するマスターピースといえるでしょう。

「性的な視線」は正当か

 ここまで「こじらせ女子」を描く漫画家としてヤマシタトモコに触れてきましたが、今年(2013年)完結した『ひばりの朝』(祥伝社 全2巻)は、これまでの作品とは一風変わった……というかかなりの異色作で、考えさせられるものがありました。

 登場人物のなかには、やはり自分の女性らしさに自信がない人物(みんなから姐御キャラとして扱われ、甘えさせてもらえないサバサバ系美女や、そもそも男から女性として見られない非モテ女性など)がいるのですが、主人公の女子中学生は、これまでの作品群では主人公だったそれら女性たちとはまるで真逆のキャラクター設定。自然と上目遣いになる低身長、色白でムチムチとした肉感的な体型、作中のセリフを引用すれば「黙っていたって男に愛される」主人公、手島日波里(ひばり)は、中学2年生にしてすでに「女性らしさの塊」なのです。

 しかし、この作品は愛され美少女が華やかなモテ生活を送る話ではありません。逆に、彼女が持っている豊かな女性らしさから発生した息苦しい問題が描かれているところが、本作が異色作であるゆえんです。そこでは、主人公があまりに若くしてその女性らしさを手に入れてしまっていることがまず問題となってくる。中学生の集団のなかに、ひとりだけエロさが匂い立つような女子がいたら、現実でも目立つことは想像に難くありません。ただ、その目立ち方は決して良い目立ち方ではなく、早熟な彼女の肉体は、主人公がイジメを受けている原因となっています。

 同級生、年の離れたイトコ、エレベーターでたまたま一緒になった同じマンションの住人など、彼女を目にした男性が彼女を「いやらしい目」で見ている描写が、作中では頻出します。本人が自覚的に性的なアピールをしているわけではありません。男性たちが彼女の外見から勝手にそうした性的な意味を受け取ってしまうのです。本人のコントロールが効かないところで彼女の女性らしさが働いていることは、作品で描かれたもうひとつの問題として捉えられるでしょう。主人公が実の父親からも性的な対象として見られていることは、この作品の濃厚な後味の悪さを生んでいます。

 イジメと性的な視線は、どちらも主人公を苦しめる悪意です。しかもこの悪意は自分の持っている女性らしさに由来するため、二重に彼女を追い込んでいく。これは、レイプ事件の犯人が「向こうのほうから誘ってきたんだ」と供述したり、その事件を知った第三者が「あんな格好をしていたら、レイプされるのも当たり前だ」と批判したりするときに、その被害者を傷つけるセカンドレイプの問題と似ているように思います。自分は悪くないはずなのに、自業自得のように扱われて苦しくないわけがありません。

 前述の「こじらせ系登場人物」が、主人公に対してどう振る舞うのかも作中で重要な部分です。彼女たちは当然のように「オンナ扱い」をされている主人公にコンプレックスを刺激されます。このコンプレックスゆえに、大人の女性たちですら主人公に対する悪意を持つことを押さえることはできない。言わば「こじらせ V.S. こじらせてない」的な構図になります。

 しかし、コンプレックスを刺激されていた立場の人間が、主人公の苦悩に気づいていく流れは、一見良さそうに見える「こじらせてない側」の生きづらさをくっきりと浮かび上がらせる鮮やかなものでした。ただ、その流れで生まれたこじらせ側登場人物からの主人公へのアクションも、結局主人公をなんら救っていない、というのがまたイヤな気分にさせられます。

 読み終わったあとに「もしかして、自分も女性に対して性的な視線を送ることで人を苦しめたことがあるのか……? でも、電車でものすごいおっぱいに遭遇したらガン見しちゃうよな……一体どうすれば……」と自らの劣情を反省し、いっそのことカルマが蠢く現世から解脱したくなってくる怪作です。とにかく後味が悪い、だからこそ考えさせられるのです。そして結局、答えは出ない……。はっ、しかも今回、なんにも恋愛コンサルしてない!

 ■カエターノ・武野・コインブラ /80年代生まれ。福島県出身。日本のインターネット黎明期より日記サイト・ブログを運営し、とくに有名になることなく、現職(営業系)。本業では、自社商品の販売促進や販売データ分析に従事している。

カエターノ・武野・コインブラ

80年代生まれ。福島県出身のライター。

@CaetanoTCoimbra

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