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オーランド銃乱射事件は対岸の火事か? マイノリティ間にも存在する包摂と排除

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Photo by andiweiland from Flickr

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フロリダ州オーランドのクラブ「パルス」で6月12日未明に銃乱射事件が起きて、もうすぐ10日になる。まず、この事件で亡くなられた犠牲者、傷を負った被害者、その周囲の人々に哀悼の意とお見舞いを、こころより申し上げます。

当初は、イスラム教の過激派組織「イスラム国」(IS)の忠誠を誓う若者オマル・マティーンによる、アメリカで史上最大規模の銃撃事件、つまりテロ行為として報道されていた。しかし「パルス」がゲイ向けのクラブであったことから性的マイノリティに対するヘイトクライムも絡んでいるのでは、と報道内容も変わっていった。テロ対策と移民排除の関連、銃規制、ヘイトクライムなどといった諸問題と連関する本件に対して、わたしは専門的な立場で何か物を言うことはできない。けれど、日本における性的マイノリティが集う最大の街・新宿二丁目にも足を運び、そこにあるクラブに通った時期もあった身として、本件を他人事として見られない向きがある。今回は、性的マイノリティ各々がその存在価値を確認し、自己肯定感を得るための空間の必要性について、また被差別者の内にも存在する差別意識について、実体験を通して考えてみたい。

「二丁目」はすべての性的マイノリティのユートピアではない

性的マイノリティが集う街として知られている東京の新宿二丁目は、そもそも男性同士の同性愛欲求を持つ人々のゲイタウンとして成立していった歴史がある(三橋順子『女装と日本人』講談社)。ときどき「二丁目に連れて行ってほしい」あるいは「二丁目によく飲みに行くよ」とわたしに声をかけてくる人がいる。こうした、MtF(Male to Female)トランスジェンダーであるわたしも「新宿二丁目に遊びに行くのでしょう」ということを意味しているのだろう、誤解に基づく発言を投げかけられるたびに、わたしは戸惑う。新宿二丁目にも足を運んだことがあると書いたがわたしは、ゲイバー、近年増えつつあるレズビアンバーはもちろん、女装サロンやニューハーフショーパブなどに、ほとんど行ったことがない。

新宿二丁目にはじめて訪れたのは2005年のあたりで、ネットで音楽の話題を介して仲良くなった友人が、クラブイベントに誘ってくれたのがきっかけだ。主催のDJたちはゲイとヘテロセクシュアル(異性愛者)の男性がメインで、そこにヘテロの男女やゲイの男性が客として集まっており、わざわざ「ゲイ向け」「ノンケ(ヘテロの俗語)も歓迎」といった看板を掲げるような構えのないミックスイベントとなっていた。わたしはそのコミュニティを介して、音楽でひとつになれる体験に加え、「性的マイノリティ」と「そうでないもの」という分断のないような心地がし、人と関わる喜びを味わうようになっていった。自分と同じような音楽の嗜好を共にする同年代の人たちと接する機会が持てて、素朴にうれしかった。

しかし、ここでもどこか腰の据わらない感じが生まれるようになる。理由のひとつは、共に踊るだけだったコミュニティのメンバーたちと交流を深めるうちに、わたしがMtFトランスジェンダーであることを告げても、「理解されている」という感触がいまいちしなかったからだろう。またメイクアップ、スカートなどの「女らしさ」をまとわず、性別移行もほとんどしていなかったわたしは、おそらく周囲から「小綺麗な男の子」と受け取られていたのだと思う。「性同一性障害」という言葉すら一般には浸透していなかった時期だったうえ、友人らにとって、言葉で説明される「トランスジェンダー」という意識の在り方とわたしの見た目にギャップを感じ、身体感覚として把握しづらかったのだろうと思う。ゲイとそう変わらない位置付けにされていることを、肌感覚としてわたしは感じ取っていた。

もうひとつは、わたしのある面を受け入れてくれた新宿二丁目に対して、ある種の閉塞感も感じ取るようになったからだ。物珍しく感じられた場所になじんでくると、違和感が目につくというのは、よくあることである。

当時の二丁目は、レズビアンバーの男性入店禁止は当たり前、ゲイ向けのバーやクラブイベントがメインで、トランスジェンダーの店というと「ニューハーフバー」つまりストレートの男女が楽しむ色が濃い場所が数店あるのみで、当事者の受け皿という感触は薄かった(もちろん、そういう構えの店であっても、安心感を得られる当事者もいるだろうとは思う)。

先述のミックスイベントでとても仲良くなったゲイ男性に、ある別の男性客について「あの人かっこいいね」とわたしがつぶやいたところ、「でもあの人ノンケだよ」と返された。開放的な空間、イベントだと思っていたけれど、参加者の意識のなかではやはり「男/女」「ゲイ/ノンケ」といった分断が存在していると、実感した瞬間だった。「ゲイやMtFといった男性の身体で生まれた性的マイノリティが、ヘテロ男性に対して好意を向けても成就しない。ゲイはゲイと、ヘテロはヘテロと、MtFはトランスを好むと表明する人と恋愛をするものだ」という不文律が多くの人々に浸透しているのでは、という現実が垣間見えた。わたしはあくまでも見た目が好みであることを述べただけであるし、その男性との関係の築き方次第では恋愛関係に発展する可能性がないとは言えないのに。

その他にもトイレなどのインフラ面で居心地の悪い思いをした記憶もある。わたしが訪れた二丁目のクラブには男女別のトイレしか存在しなかった。こうした些細なことが、足を遠ざけるきっかけになる。

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