「托卵女子」による本当の被害者とは?
さらに、「DNAのつながりだけが父子関係なのか」という意見もある。血縁も大事だが、子どもを育てた精神的なつながりも重視されるべきだ、と。托卵が判明した後でも、自分の子どもとして育てることを望む夫もおり、父子関係は理屈で割り切るほど単純ではない。
浅田次郎の小説を原作とした映画『椿山課長の七日間』(河野圭太監督)では、血がつながっていない父子の絆が描かれている。
ストーリーは、脳溢血で突然死した椿山課長(西田敏行)が、生前の「重大な事実」を知るために、初七日が終わるまでの間、現世に別人(伊東美咲)の姿で留まることを許されるというもの。そこで知ったのは、妻(渡辺典子)と部下の嶋田(沢村一樹)が不倫関係にあり、幼い息子・陽介(須賀健太)も嶋田の子どもだという、あまりにも過酷な現実だった。托卵の事実に、椿山は大きなショックを受ける。
同じく事実を知った陽介も、深く心に傷を負う。しかし、陽介は、事実を知った後も育ての父親である椿山課長に対して絆を感じており、椿山課長も血のつながりがない陽介を誰よりも心配する。そして、最後は恨みを水に流し、妻や嶋田に陽介の成長を託すのだった。
「托卵女子」が男から「悪女」として恐れられるのは、「愛情を注いできた我が子が他人の子」という衝撃からにほかならない。
しかし、忘れてはならないのが、傷つくのは夫だけではなくて、子ども同じだということ。そういう意味では、DNAのつながりだけが父子関係ではなく、また、どういった経緯にしろ我が子を産みたいと思う女性の気持ちは尊重されるべきだとしても、やはり周囲を欺いて托卵することは、罪深い行為だと言えそうだ。
「知ることができるようになった」という新たな恐怖
「托卵女子」が本当に増えてきたのだとするならば、どのような価値観の変化が起こっているのだろうか。それは、「安定した結婚生活を送る」「愛する男やイケメンのDNAを残す」という二つの目的を果たすための欲深い業かもしれないし、結婚制度や男性中心の社会に対するレジスタンスかもしれないし、もしくは計画性のないただの思いつきや、「本当の父親が誰なのか」で揉めたくない身勝手な女の「ことなかれ主義」なのかもしれない。
だが、「托卵女子」が恐れられることの背景にある、もう一つの理由を見逃してはならない。
繰り返すが、DNA鑑定が一般化するまでは、「重大な事実」が簡単に明るみに出ることはなかった。しかし、今では唾液を採取するだけで、事実が判明してしまう。鳥類であれば、托卵は種を生存させるための「本能」と言えるのかもしれないが、人間の倫理規範では「罪」だとみなされる。その罪を作ったのも人間ならば、罪をあぶり出す術を作ったのも人間だ。
DNA鑑定が普及して発覚が容易になったため、托卵するリスクは以前よりも高まった。そういう意味では、安易な思いつきで托卵しようとする女は、減っていく可能性がある。
しかし、それでも「托卵女子」に対する男の恐れが消えず、ネットの書き込みやフィクションの世界でそれが表出するのは、「知ることができなかった事実を、知ることができるようになってしまった」という新たな問題が、少なからず影響していると筆者は考えている。
托卵に疑念を抱いたとして、事実を知るべきなのか、それとも曖昧なままにしていたほうが幸せなのか。そうした葛藤が、「托卵女子」という「悪女」に新たな眼差しを注いでいる。
現在において托卵がなぜ行われ、当事者はどのような心境でいるのか。さらに深掘りして取材したいため、編集部まで情報提供をいただきたい。匿名によるインタビューをお願いできると幸いだ。プライバシー保護や情報源の秘匿を、かたく約束させていただく。