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「なぜ、私は母を嫌ったのか」。昭和のプロ嫁だった母に感じた、空疎な「型」の仮面

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ナガコ再始動

ナガコ再始動

 父の男根主義的スパルタ教育の影響により、自他の女性性を嫌悪する娘として育った私にとって、最も不可解な女性の象徴が、母だった。本稿ではその理由を解明してみたい。が、どうにもこうにも進まない。

 いわゆる「毒母あるある」や、ユング心理学における「グレートマザーの呪い論」に便乗し、母への不満を書き連ねることは、簡単だ。しかし、「母や母性に問題がある。だから自分は嫌悪する」という表層的なロジックの一層奥に、「母との関係性を正常に保つことができなかった自分の問題」がある可能性も否めない以上、そう簡単に文句を言うわけにもいかない。

 問題の焦点は、我にある。その焦点を、薄らぼんやり感知していたとしても、おそらく私は直視したくない。できれば知らないふりをしたい。と、書いてみてようやく、認識する。とうに感知はしていて、事実の受容を拒絶しているのだと。あとは明記するのみ。なかなかしんどいが、その作業を行うことが本連載のテーマである。

昭和時代のプロ嫁

 母は、父とその祖父母の同居する林家に嫁ぎ、専業主婦として家族全員の家事を一手に引き受けた。のちに生まれた私と妹の育児もこなしながら、近隣住人や親戚との付き合いにも精を出す。祖父母の介護も懸命に行い、死に際を看取り、滞りなく葬式や墓守を仕切る。言うなれば、昭和時代の「嫁」に求められたすべてのタスクをコンプリートする、滅私奉公型の「プロ嫁」であったと記憶している。

 とにかく働き者で、自分の時間も趣味もない。祖父母や父に命じられるままに「林家へのご奉仕活動」を行う母の尽力は、人道上、尊敬に値するものではある。結婚は、女性にとって「相手の家に嫁ぐ奉公制度」、夫唱婦随の精神で夫に尽くし、家族全員の世話をする健気な「お嫁さん」が理想的な女性像だった当時(母が嫁いだのは今からおよそ40数年前だ)。その最高峰として、母は活躍したのだ。祖父母も父も親戚も、人々に喜ばれることを自分の喜びとする母の尽力に感謝をしていた。もしも母が、「当時の家族信仰」を尊ぶファミリードラマの主人公ならば、国民的な支持を得たことだろう。

 「良き嫁」として家族にも時代にも肯定された母は、そんな自分を誇らしく思っていただろうし、それが自分に与えられた当然の役割(あるいは善行)と信じていたと推測する。よって、「良き嫁」に内包される、理想的な「良き母」の型(子供たちの世話を甲斐甲斐しく焼き、いつも優しく寄り添い、夜なべして手袋を編むような)を一寸の疑いもなく踏襲するわけだが、それこそが娘に不信感を与える要因となる。

 母自身は、まさか娘に嫌われるとは思いもしなかったのではないか。なにしろ、自分は世に賞賛される「良き母」をやってのけている自負がある。娘に慕われて当然なのに、どうして嫌がられなければならないのか。答えはシンプルだ。母の方法論はただの「型」の押しつけであって、相互理解を育むコミュニケーションではなかったからだ。

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林永子

1974年、東京都新宿区生まれ。武蔵野美術大学映像学科卒業後、映像制作会社に勤務。日本のMV監督の上映展プロデュースを経て、MVライターとして独立。以降、サロンイベント『スナック永子』主宰、映像作品の上映展、執筆、ストリーミングサイトの設立等を手がける。現在はコラムニストとしても活動中。初エッセイ集『女の解体 Nagako’s self contradiction』(サイゾー)を2016年3月に上梓。

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