カウンセリングのプロではなく、悩める人の案内人でありたい
──トイアンナさんはこの本でもコラムでも、精神科医療や専門機関の支援をもっと活用するようよく呼びかけていますよね。
トイアンナ 生きづらさを抱えている方と、専門機関の接続をもっと良くしたいというのは、私の長期的な目標のひとつです。日本ってそもそも、精神科医療を受けるまでのハードルが高すぎるんですよ。欧米ではもっと気軽に、占いを受けるくらいの感覚で活用されているのですが、日本ではそうではない。精神系の治療を受けるとか、特定の診断を出されたとなると、何か「烙印」を押されるような感覚になってしまうんですね。でも、プロでなければ対応できない領域というのはあると思うんです。
──本を読むと、そのあたりの線引きはかなり厳密に行っていらっしゃる印象です。
トイアンナ たとえば、両親から身体的暴力を受けているのに加えて経済的にも搾取されている、というような状態であれば、頼るべきは私の本ではなくて法テラスですよね。「親への怒りを伝える」なんてワークをやっている場合ではないわけですから。相談を受けていて「これは私が責任を取れないレベルの話だな」と感じたらガンガン専門機関を勧めます。私は相談は受け慣れているけど、決して何かの専門家というわけではないので。
──特定のジャンルの専門家ではないけれど、彼らと悩める人との間のハブになれる、ということがむしろトイアンナさんの強みなのでしょうか。
トイアンナ そうですね。そこにとどまっていないと、プロの方からお叱りを受けてしまうと思います。あと、もし私が医者であればもっといいことを言えたかというとそうでもないかなと思っていて。案内人だからこそ、いろんな悩みに対して「その問題についてはこっち、その問題についてはあそこに行ってね」という柔軟な対応ができる。私が何かの専門家だったら、来た人を自分の専門領域のやり方で助けることはできても、他の領域とのつなぎ役はできなかったかもしれない。何より、「トイアンナというツールがここにありますよ」という情報発信が下手くそだったんじゃないかと思うんです。
退路だけは確保しておいた方がいい
──『恋愛障害』で取り上げられているような苦しい恋愛話は、コンテンツとして消費されやすいという一面もありますよね。2chや発言小町のまとめ、あるいは著名人のゴシップなどで見られる、「他人の不幸な恋愛話をみんなで面白がる」というような風潮に対してどう思いますか?
トイアンナ 私も発信側なので表現が難しいですが、需要と供給が噛み合うこと自体は仕方がないと思っているんです。たとえば、パートナーの不倫に傷ついている人が「不倫をする奴なんて人間失格だ」というような読み物を求めるのは普通のことですよね。ただ、それで不倫をしている人が「私は人間失格だ、死のう」ってなるのであれば「ちょっと落ち着いて」と語りかけるコンテンツもあったほうがいい。コンテンツについては、いろんな需要に応えるものがあるべきかなと思います。
そして私は、いろんな苦しい立場にいる人たちに対して、なるべく共感を寄せられる立場でいたいんですよ。恋愛障害に陥る人たちの傾向として、他者から共感された経験が極端に少ない、というものがあるので。同情ではなく共感が大切なんです。だからどんな条件の恋愛についても、否定からは入らないようにしています。
──『恋愛障害』でも取り上げられていますが、やはり不倫は消耗しやすいパターンのひとつですよね。トイアンナさんは不倫に対して否定も肯定もしない、という考え方なのでしょうか?
トイアンナ 私の夫に手を出す女がいたら地の果てまで追い詰めますけど(笑)、それはそれとして、不倫が起きること自体を批判はしません。恋愛に「あるべき・ないべき」論は不毛なんです。不倫をしている人に「不倫はするべきでなかった」と説教したって、今しちゃっているんだからしょうがないじゃないですか。今その人がどうしているのか。つまり「だ・である」しかないと思うんです。それをどう変えていくか、というところにしか他人はアプローチできません。
不倫をしていることがその人にとって苦しいことで、どこかのタイミングでやめた方がいいと感じているなら、それはやっぱりやめたほうがいいよねと思うし、そう伝えます。一方で、不倫が楽しくてしょうがなくて、既婚者相手の恋愛は責任を負わなくていいから本当にハッピー! と感じている人がいるなら、その人にまでやめた方がいいとは言いません。法的措置を取られることだけは覚悟しておこうね、と注意しておしまいです。
でも当たり前ですけど、ほとんどの人は自尊心を失いながら不倫をするんです。恋愛に限らず、やっていて疲弊することに関しては、いつでも逃げられるはしごというか、退路だけは用意しておいた方がいいと思うんですよね。そこ以外行くところがない、という状況が一番危険なので。私がこの本で「卒業」という言葉を多用しているのもそう考えているからです。今の状況を続けるかどうかはともかく、ここからは自分の意思で離れられる、ということ前提で過ごせた方がいいです。
──ご自身についても、そういったことを常に考えていますか?
トイアンナ そうですね、もともと臆病な人間なんですよ。ライター業についても、いつかやめるとしたら自分は今何をしなければいけないのか、ということを常に考えています(笑)。
生きていれば、どうしようもない事情で生き方を変えざるを得ないことって色々ありますよね。子供ができて、思ったより手がかかるから仕事を辞めざるを得なくなったり、介護のために家族や仕事に割く時間をセーブしなくてはいけなったり。それをあらかじめ考えるのが私なりの「退路」なんです。
『恋愛障害』はただのツールである。
──恋愛問題などについて、トイアンナさんがどなたかに相談することはないのでしょうか?
トイアンナ この数年ずっとないですね。ほとんどの問題については、自分で解決できるし責任もとれると知っているので、特に人に相談する気にはならない感じです。たとえば、今夫に振られたら絶対にものすごく落ち込みますし、友達に「辛いから話を聞いて」と言うことくらいはあるかもしれません。でも「この先どうしたらいいの」という相談をすることはないと思います。それは自分で考えて決めるので。私が相談するとしたら、自分の意思決定のために、その分野の専門家の意見がほしいと思ったときくらいです。
──なるほど。じゃあ、たとえばトイアンナさんが今不倫をやめられなくて苦しんでいるとしたら、どういう風に自分の状況を立て直していきますか?
トイアンナ まずは不倫を今していない、という点を強調させていただきつつ(笑)。そうですね、今自分が不倫で得ているベネフィットを、どうしたら他から得られるだろうか、ということを考えると思います。私は不倫から何を得ようとしているのか。それが性欲なら、他で発散できないか検討してみる。承認欲求なら、承認を得るための他の手段を考える。そういう、システマティックな検証を積み上げていきますね。
──さすが、心のエクササイズを重ねてきただけありますね……。
トイアンナ いえ、これは恋愛障害を自分が乗り越えてきたからというよりも、外資系に勤めてしまったが故の病気だと思います(苦笑)。仕事柄、そういった分析をずっとしてきたので。
ただ実際、カウンセリングにも似たようなメソッドがあります。カウンセラーは、「どうしてあなたはそんな風になったんですか?」ではなく、「何があなたをそうせしめたのですか?」という聞き方をするんです。小さな違いですけど、こう表現すると、「自分のせいでこうなったんだ」と思うよりも、問題との間に距離感が発生しますよね。これなら、「パーツが壊れているから修理すればいいんだな」というような考え方が少し容易になるわけです。
──この本からも、そうした距離感をトイアンナさんが大切にされていることが伝わってきます。自分やこの本を「ツール」として使ってほしい、と強調されているのも、同じ考え方に基づいているのでしょうか?
トイアンナ そうですね。本には色々あって、人の心を揺さぶる芸術品のような小説なんかもたくさんありますけど、少なくとも私や、私の本のことは「ツール」だと思って“使って”ほしいんです。「このペンチ使いやすいね、これのおかげで壊れていた部分が直せたね」って言ってもらえたら著者冥利につきます(笑)。でもペンチは所詮ペンチだから、信仰や依存はしないでほしい。ペンチは包丁の代わりにはならないから、元々の使用目的に沿った使い方をしてほしいし、ツールとして使い終えたら卒業してほしいと思うんです。Amazonのカテゴリランキングで一位を取っていたのも、もちろん嬉しくはあったのですが、逆に「この本がこんなに必要とされているのは由々しき事態なんじゃないか」とも思いましたから。
──ある意味、こういう本が売れない社会の方が健全だということでしょうか。
トイアンナ いつの日か、「恋愛障害か、昔ってこういう流行病みたいなのがあったんだよね」って語られるような状況が訪れるのが理想かもしれませんね。私にとっても皆さんにとっても幸せな結末は、一回たくさん売れて、読んだ人たちがこの本を使って状況を前進させて、あとは見向きもされない、というものなんじゃないでしょうか(笑)。
(聞き手・構成/小池みき)