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「信仰の対象」であった産後の胎盤が、条例によって「処理」される現代

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Photo by Derek Gavey from Flickr

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人間の胎盤は、くさみのないレバーのような味がして、とても美味しいのだという。

「胎盤を食べるなんて気持ち悪い」と思う人がほとんどかもしれない。しかし獣は出産すると自分の胎盤を自分で食べるらしいし、日本列島の一部地域でも、胎盤を食べると乳の出が良くなるという伝承がかつて存在していた。荒唐無稽な話でもないようだ。

胎盤や卵膜など、後産の際に体の外へ出されるもののことを、まとめて胞衣と呼ぶ。「ほうい」ではなく「えな」と読む。

胞衣をめぐる習俗は非常に多様で、生活と信仰が密接に関わっている。あとで詳しく説明するが、日本各地には胞衣を埋める習俗があった。この「埋める」という行為ひとつ取っても、どこに埋めるのか、何に包んで埋めるのか、そして誰が埋めるのか、時代や場所によって多種多様な事例が確認されている。

現代でも胞衣の処理にはルールがある。各自治体において「胞衣及び産汚物取締条例」という法令が存在し、胞衣や産汚物(羊水などが付着した布、紙類)は専門業者によって「処理」されなければならないのだ。例えば東京都の「胞衣及び産汚物取締条例」では、胞衣(現在は、妊娠4カ月以下の胎児の「死胎」も含まれている。「胞衣」という言葉が指す範囲は時代によって変動している)の処理について、取り扱い業者や取り扱い場所などが細かく指定されている。

胞衣の扱われ方が細かく決められている点は今も昔も変わらない。しかし前近代から近代にかけて、胞衣は「信仰の対象」から「処理するゴミ」へ、確実に変遷を遂げている。「信仰」も薄らぎ、「処理」されていることも知らなかった私たちは、いま「胞衣」をどのように捉えることができるだろうか。

「生」と「死」の間に納められる胞衣

中世では「胞衣納」という儀式が行われていた。

室町幕府に使えていた蜷川親元という官僚の日記「親元日記」には、彼の上司である伊勢貞親の子が生まれた時の胞衣納について記されている。

(1)伊勢貞親が産所に赴いて洗った胞衣を入れた桶を受け取り、吉兆と言われる方角の山へ行く。
(2)河原者(当時の被差別階級の人々であるが、その一方で職能集団に属している場合も多かった)らが穴を掘り、その中に壺を据える。
(3)典薬頭(てんやくのかみ。典薬寮という部署の長官)が壺の中に胞衣桶を納め、蓋をして土をかける。
(4)河原者がそれを埋め、上に松を植える。
(5)儀式が終わり、帰路につく。帰宅直前に貞親はそれまで着ていた白の直垂を脱いで裃に着替える。
(参考:横井清「的と胞衣」平凡社、1998年)

短い史料なので確証は得られないが、どうも胞衣の扱われ方が奇妙に感じられる。

以前「地獄と女性の深い関係 鎌倉時代の絵巻物から伺える女性蔑視」という記事にも書いたように、中世では女性の経血は「穢れ」として扱われていた。だが、胞衣桶を穴まで持っていくのは伊勢貞親本人であり、胞衣桶を壺に収めて穴に埋めるのは朝廷の医療を司っていた典薬寮の長官だ。穴を掘るのは当時の被差別階級だった河原者であるが、胞衣を直接は扱っていない。

この人選には明らかな意図を感じるし、ある種の形式も見られる。どうやら胞衣は単なる汚物ではなく、聖性と丁重さを以て処置されていたようだ。上から松を植えるという行為は、死者の埋葬において類似の事例が存在する。「山」も「河原者」も、中世においては境界線上の存在であり、胞衣自体もまた「生」と「死」の境界にあるものと認識されていたのかもしれない。

奈良県の伝承では、家の床下、戸口、敷居の下など、人が踏む場所に埋めるという例が数多く見られる。胞衣を子供の分身として解釈し、たくさんの人に踏まれることによって子供が丈夫に育つというまじないだそうだ。胞衣を埋めたところを動物が最初に踏むと子供がその動物を異常に恐れるようになるので、胞衣を埋めたら子供の父親がその地を最初に踏んで、親を畏れ敬う子になるよう願をかけるという習俗もあったようである。

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