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「放っておくと男に尽くしそうになる自分が気持ち悪い」。恋愛におけるブレーキと破壊

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ナガコ再始動

ナガコ再始動

 本連載『女の男根』も早5回。連載開始当初は、男性性に傾倒しやすく、自他の女性性を蔑ろにしがちな自分の性質は、父由来のマチズモの影響に拠るものだと自覚していた。が、たったの5回で「自覚の見込み違い」を自覚し、冷や汗をかいている。実のところ、自分の女性性を認めないブレーキとして暗躍しているのは、母由来の女性性および母性の欠落バイアスの方である。

 なにしろ父由来の男根は、自己の土壌のど真ん中にそそり立っているため、大変目立つ。重量も存在感もあるので、実態を掴みやすい。他方、母由来の欠落は、「(定着して)ない」ものが「在る」という霊障のごとくの不気味な空気感を醸し出している。物量が空疎で、目を凝らしてもなかなか見えてこない。

 おそらく、若い頃の私は、母の希薄な実態を何とかして掴みたい一心で、母を憎み、蔑む感情を故意に生成したのだろう。その激しい感情が、自分が母という人間を実感するためのアクセスポイントとなるわけだが、それは自分を宥めるためだけに捏造した幻影であり、実態の母とは無関係である。幻影にすがったところで、虚しさはより募る。母子の距離も遠のくばかりだ。

 他方、父は常に実態として私に寄り添う存在なので、彼の影響のみが「自己の由来」であると誤認することは自然な流れである。蓋を開けてみれば、母への嫌悪や欠落意識等、彼女の影響も色濃く反映されているのだが、それは大気汚染のような不可視、拡散型のエネルギー質を持つため、被害に気付くのは後年となる。この「先攻:父由来の男性性」「後攻:母由来の女性性」の構図が、我ながら虚脱するくらい分かりやすく露呈するのが、恋愛だ。

ファザコン女の男を見る目

 そもそも私には、父由来のマチズモを通して男性を批判する癖がある。

 「男の分際で泣き言をいい、己の弱さを自ら克服する鍛錬をさぼって他者や女に甘え、弱い者を守らないうえにむしろ見下して足蹴にし、強者には媚び、保身に走る。そんな弱い男など、私は断じて認めない。男の風上にもおけないばかりか、私の足元にも及ばない。幼稚園からやり直すがいい」

 以上の感想はすべて私自身が父より受けた教育の残滓である。己の男根との強さ比べを行う「対抗意識」をも含むジャッジ基準には、「その人本来の自己」を知り、尊重しようとする視点が一寸たりともない。つまり、一方的な自己都合押しつけて人様の何たるかを評価しているわけだから、無礼千万な事態と言える。

 よって、交流を通じてその人となりへの理解を深めるよう努めるわけだが、私の偏見過多の主観が「精神力が弱い」と捉える男に限って、ちょっと優しくするとつけあがる手合いであるため、「おまえ、いい加減にしろよ。私に甘えるなど100年早い」と、怒りのあまり屹立した己の男根を見せつけがてら罵倒することとなる。これが、好き嫌いや上下関係を問わず、私が男性全般に対峙する際の態度である。

 こう書くと、いかにも心身ともに屈強な男が好みと思われるかもしれないが、残念ながら、私のタイプは「がりがりでメガネの繊細なサイコ野郎」だ。メガネは顔の一部だから、視覚的な好みとして片付けるとして。がりがりは、台風が来たら飛ばされそうになるくらいが良い。その原型もまた、父なのだ。

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林永子

1974年、東京都新宿区生まれ。武蔵野美術大学映像学科卒業後、映像制作会社に勤務。日本のMV監督の上映展プロデュースを経て、MVライターとして独立。以降、サロンイベント『スナック永子』主宰、映像作品の上映展、執筆、ストリーミングサイトの設立等を手がける。現在はコラムニストとしても活動中。初エッセイ集『女の解体 Nagako’s self contradiction』(サイゾー)を2016年3月に上梓。

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