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精神病患者が治療を受けられず、監禁されていた時代から続く「医療不信」

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大和彩

病気なりに、健康に暮らす。

プロジェクトYSJ 出張報告書【16】

 先日発足した「プロジェクトYSJ(夢子に精神科を受診させる)」の続きですうつ。これまでの報告については、こちらをご覧いただきたいうつ。前回は,、なぜ『精神病院は恐ろしいところだし、行っても薬漬けにされるだけで病気は治らない』という都市伝説が存在するのか? という点をうつりんなりに推理したうつ。今回は明治時代、精神病院以外の治療施設ではどんな治療がおこなわれていたかを見ていくうつ。

精神病院に入れない人たちの暗い歴史

うつりん「ただ、明治時代に病院にかかることができた人は、まだラッキーだったうつ。なぜならそのころの日本には精神病院の数自体、とても少なかったうつ。日本精神医学会の建立者で、東京府立巣鴨病院の院長でもあった呉秀三(くれ・しゅうぞう)によると、大正71918年)当時、日本に存在する精神病者の数は1315万人。だけどそのころ日本中の精神病院のベッドを合わせても収容できたのはたった5000人だったうつ」

夢子「残りの125000145000人はどうしたの?」

うつりん「残りの人たちは神社仏閣で以前話した灌瀧(=かんろう、滝治療のこと)療法や民間療法で治療していたか、私宅監置室にいたうつ」

夢子「したく、かんちしつ?

うつりん「私宅監置は、明治33年(1900年)に『精神病者監護法』が成立して合法化された制度で、警察の監督の元、自宅にトイレ付きの小部屋を作って患者を監禁することうつ」

夢子「病院以外でも監禁してたんかーい! じゃあ『巣鴨!』なんて悪口いってる人たちのなかにも、家族を私宅監置にしてる人もいたかもしれないじゃんね~。『病院は薬漬けにして病気も治らない』って悪口いっておきながら、自分たちのことは棚にあげて!」

患者の命は家族に委ねられていた

うつりん「患者を私宅監置にするには、まず家族が警察に許可をもらう必要があるうつ。その後も病院や医者ではなく、警察の指導・監督の元に患者の監置を行ったうつ。月に何度か警察官が監置室を見回りに来るんだうつ。『精神病者監護法』の考え方では、精神病患者は公共のために監禁第一! 病気の療養は監禁を妨げない程度にしましょう……つまり私宅監置では手かせ・足かせの撤廃など論外、というものだったうつ」

夢子「うわっ、療養は二の次って、治るものも治らないよ! しかも完全に犯罪者扱いじゃん。そして患者本人の意思は無視して家族と警察で事が進むところに抵抗を感じる~」

うつりん「呉秀三はこの制度をなくすために努力したうつよ。『精神病者私宅監置の実況及びその統計的観察』(1918)という研究で全国の私宅監置室の状況を調査したんだけど、その結果、8割が不良、もしくははなはだ不良な状況で監禁されていたことがわかったうつ。患者の多くは、掃除されず風通しや日当たりの悪い監置室に手かせ・足かせのまま監禁されていたのが発見されたうつ。栄養状態も悪いし、医者に診せたり、薬も与えられない患者が多くみられたうつ。衛生状態も悪くて顔を洗ったり沐浴もさせてもらえないし、洗濯もされないから、経血がついたままの不潔な服を着せられていた女性の患者もいたうつ」

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大和彩

米国の大学と美大を卒業後、日本で会社員に。しかし会社の倒産やリストラなどで次々職を失い貧困に陥いる。その状況をリアルタイムで発信したブログがきっかけとなり2013年6月より「messy」にて執筆活動を始める。著書『失職女子。 ~私がリストラされてから、生活保護を受給するまで(WAVE出版)』。現在はうつ、子宮内膜症、腫瘍、腰痛など闘病中。好きな食べ物は、熱いお茶。

『失職女子。 ~私がリストラされてから、生活保護を受給するまで(WAVE出版)』

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