ーーいわゆる緊縛作品って縄目を見せる、縄目を見たいっていう人が多いと思うんだけど、荊子さんの作品はこれに限らず、縄がそんなに写り込んでいないよね。
荊子「全身をがっつり縛って、縄目を多くして……となると、SM色が強くなりがち。たとえば手首を縛っているだけでも、拘束されているのは伝わると思うし、それによって見えてくるこの男性と相手との関係性とか、その場の空気とか、私はそういうものを表現したかった。縄目をたくさん作りながら全身を緊縛するって、練習すればある程度までは誰でもできること。でも、私はただ縄目を見せたいんじゃなくて、そこにいるふたりの関係性や、この後の展開などを想像してもらいたいんです。それには、そんなにたくさんの縄目は必要じゃないかな、と」
ーー視覚的に刺激を受けるのはもちろん、においや埃っぽさ、体温など彼の生々しい存在によって五感を刺激されながら、拘束されているという非日常感に自分も入り込む……ドキドキする!
荊子「男性をエロティックに撮るのはむずかしい、とつくづく感じます。女性って、その存在だけでフォトジェニック。別にそれはモデルさんだからというわけではなく、すごく太っていてもガリガリに痩せていても作品になる、と感じます。着衣だからとか、ヌードだからとか、っていうのもあまり関係ない。でも、男性は脱いだからといってセクシーになるわけじゃないし、いくらきれいな裸でもそこに縄をかければ作品として成立するわけでもない」
男性と対峙したときの、複雑さ
ーーたしかに、「男性のエロい写真」って少ないと私も思う! 『an・an』のセックス特集でもアイドルや俳優が脱いでるけど、ただ裸になってお尻見せたらエロいってもんでもないでしょ、って。
荊子「男性を縛る、責める、切ない感じをエロくかもし出す……これがむずかしいのは、私のなかで男性との精神的、肉体的距離感が掴めてないから、っていうのもあると思う。私の側に、『責めたい』『切ない顔してほしい』という願望や、承認欲求、容姿的なコンプレックスがあって、男性と対峙したときに複雑で混沌とした思いを抱えてしまうから」
ーー女性を撮るときには、そういう複雑さはない?
荊子「ないわけではないけど、同性だからその複雑さもわりと理解できるかな。男性モデルだと、私の混乱具合が作品に如実に出るので、人前に出したくないと思ったこともある。でも男性をくり返し撮るようになって、その混乱具合こそが私のいまの内面だと気づいたとき、逆に面白くなってきて。これからどう変化していくのか、自分でも興味深いですね」
ーー荊子さんが男性を縛る作品は、ほんっと個性的で……
ーーこれ、すごく驚いた! おじさんリーマンを縛ろうっていう発想がどこから来るんだろう、って。
荊子「これはドイツ人の男性カメラマンとの共作なんだけど、彼にとって日本の“サラリーマン”の生態がすごく面白かったみたい(笑)。満員電車に揺られたり、居酒屋でぐだぐだと愚痴をいいながら飲んだり。縛られてぎゅーっと内に向かっていたエネルギーが、その縛りを解こうと外に向かっていく感じ……という彼の表現に添って、縛ってみました」
ーーそれがエロスかというと、むずかしいけど……。
荊子「私のなかでも『縛り=エロスを撮るもの』という固定観念があって、このシリーズは、その観念が覆った作品だと思ってます。エロスだけじゃない、内面を出せるツールが縛りなんだな、って」