テレビの世界、あるいは広いコンサート会場の舞台でしか会えなかった昔のアイドルと違い、最近のアイドルは握手や会話の機会があるうえ、ブログ等でオフショットや自らのメッセージを発信、ファンからのメッセージへの返信までする。楽屋にまでカメラが入り、オンオフの境がなく四六時中アイドルらしい振る舞いを要求される。その結果、アイドルとの距離があたかも近くなったかのように錯覚してしまうファンが増加していないだろうか。クソの役にも立たないアドバイスを送ったり、暴言を吐いたりして、本当は遠い存在(=よその女性)であるアイドルの記憶にとどまりたいという心理もあるのかもしれない。代表的なエピソードで言えば、乃木坂46・星野みなみが握手会で「強みないのに(乃木坂に)いれてラッキーだね。初期からいたから、推されてるからいるんだよ」と暴言を向けられたというエピソード。星野がこれを泣きながらテレビで話したことで、ファンの暴走が表に出たが、このほかにも乃木坂では、衛藤美彩が握手会で“つり”を要求されたため、頑張って応えようとしたら「つまんねー」と言われて泣く、松村沙友里が「あんまりひどいこと言われると心折れます」とファンに訴えるなど、ひどい事例はたくさんあるようだ。AKB48グループ全体やその他のアイドルグループを含めれば数え切れないほどだろう。
ファンは彼女たちの指導者でもパトロンでもなく消費者なのだが、まさに「お客様は神様」精神で、お金を出してサポートしてやっているといった感覚が肥大化しているようにも見える。こんな現状を憂いたのか、今年9月、乃木坂46公式ブログで川後陽菜がアイドルとの距離感についてこんな持論を述べていた。自らもアイドル好きであった川後は、アイドルとは偶像という意味の言葉であることを説明し「アイドル(偶像)を好きだと応援(崇拝)するのならば、そのアイドルに対して、敬い尊ぶことを絶対忘れちゃいけないとおもう」と、まずアイドルの応援のあり方を説き、「尊いものを自分と同じ位置に置くのは違う」「自分とアイドルの基本的距離感を自分の都合、想像で超えていくのは、両者に危険を伴う」「色んな面で期待しすぎると『こんなことする様な子じゃない』と固定概念をぶっこわされ勝手に絶望感と怒りをもってしまう」と、アイドルを勝手に近く感じることの危険さを綴っていた。
今回の橋本の引退に話を戻せば、「ファンのため」ではなく「お金のため」の仕事をしていたことに、侮辱されたかのような憤りを覚えるのはファン心理としてあるだろうが、偶像に理想を投影しすぎるがあまり「辛く」なってしまうのならば本末転倒。ファンができるのはあくまでアイドルの“応援”のみだということを肝に銘じてほしい。他人の人生の舵を切ったり、針路方向を変えることまでできると信じてしまうのは間違いだ。
(ボンゾ)
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