カルチャー

「運命の相手」との不倫で、人生から逃げる男と女『アフェア 情事の行方』

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 このようにこの作品は私たちを気持ちよく男女の恋愛関係に陶酔させてくれない。それどころかノアとアリソンが結ばれる必然性すら我々に納得させてはくれない。大きな岩を回避する潮の流れのように、それぞれの人生の難局にぶち当たらないように方向性を変えたとたん偶然この二人の目が合ったようにしか見えないのだ。私は特にアリソンに思う。そんな男の中年の危機につきあっている場合ではないと。ノアは人生をやり直す若さを、あなたは一度捨てた自尊心を、互いの存在で補てんしようとしているだけだ。しかしあなたは聡明で有能な看護師ではないか。ノアと二人で暮らすコテージのオーナー、ロバートが膝のリハビリを受けると聞いた途端、論理的で説得力のあるアドバイスが浮かぶ優秀な医療者ではないか、と。

 だが心の欠落を男女関係で埋めているのは二人に限った話ではない。素朴な人生の知恵者のように見えた壮年のロバートも、自身の可愛がっているオオカミの血を引く犬が知人の鶏小屋を荒らした際、かねてからそれを忌み嫌っていた都会人の妻が「殺して」と命令してくるのを拒否できない。我が子を失った悲しみを共有してくれないノア(そもそも彼はアリソンが看護師であったことすら興味もなさそうなのだ)との関係性の不安を語るアリソンに「しかし相手がいれば孤独ではないと思える」としか語らないロバートもまた、自分の人生の欠落から目をそらすために、「愛」を用いているのだ。

 本当は彼らにとって孤独それ自体が問題ではないのだ。孤独になったとき、目の前に広がる風景が問題なのだ。4人の子供たちの共同親権を巡る離婚訴訟で判事(この判事が真に子供の権利保護を考える至極いい判事なのである!)から、しばらくの間アリソンと子供たちの接近禁止を命じられたノアに、アリソンは「あなたがいないとだめなの」と告げる。これはいかにも切実で甘い愛の言葉だ。しかしここまでドラマを見てきた者には、ノアと彼が持ち込む新しい生活がなくなったら彼女に残るのは、喪った幼い我が子の記憶と経済的に破綻したとたんに元夫を捨てたという事実だけだと透けて見える。そしてノアも新しい家庭を持たなければ、義両親に依存しながら家族を持ち、夢を追うという形だけの大人、父親であった事実を塗りつぶすことができない。これがお前の人生なのだ、と告げてくる現実を「孤独」と彼らが名付けているだけだ。

 『サウンド・オブ・ミュージック』しかり『麗しのサブリナ』しかり『アパートの鍵貸します』しかり。これまで映画、ドラマの中では登場人物が“正しい”パートナーを得ることがすなわち本当の自分を発見したことを意味し、結果として正しい人生の道筋を歩んでいけるという筋運びがお決まりだった。しかし『アフェア』はこの定番のロマンティックラブ・イデオロギーに疑問符を投げかける。そもそも恋愛だけが個人の成長や幸せを測る指標なのだろうか。私たちの人生はもっと豊かなもののはずだ。なのになぜ自分がどんな人間であるか理解してもくれなさそうな他人によって己の価値を測ろうと人はするのか。トラブルメーカーで自己中心的でそのくせ時折殺意が沸くくらい“正しいこと”を言ってくるアリソンの母やいつまでたっても自立できない父母にすがりつくように甘えようとするノアの娘を見ていると、このドラマでは、現実の人生と同じくらい、なにが間違っていてなにが正しいのか見えてこない。だからこそたくさんの文脈の中から自分の最適解を見つける面白さがこの作品にはある。それは現実の人生でも同じことなのかもしれない。
パプリカ

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