【前回までのあらすじ】
両親と同居していては健康な生活を送るのは不可能だと判断した夢子は、実家を出てひとり暮らしを始める。
* * *
お引越しは夜中に決行されたのよ。その日、夢子は勤務から帰宅後、両親が寝静まってから取り急ぎ必要なものだけキャリーに詰めたわ。そして徒歩40分かけて駅まで歩き、電車に飛び乗ったの。夢子が隣の県にあるレオパレスにたどり着いたころには日付が変わっていたわ。
夢子は気づいてないみたいだったけど、これって限りなく「夜逃げ」に近いわよねぇ。とくに何か悪いことしたわけでもないのにねぇ。ちょっと不憫だわ。
両親に引っ越すことを告げるエネルギーすら残ってなかったから、夢子は何も告げずに家を出たの。引っ越したことは勤務先にも伝えなかったわ。夢子は両親に新しい住所を知られたくなかったの。両親が勤務先に電話して住所を聞き出すことを警戒したのよ。
夢子は自分の病気のことや家庭でDVを受けていることなど、絶対に勤務先には知られたくなかったの。夢子のいちばんの心配は、職場にいづらくなって退職に追い込まれてしまったらどうしよう、ということだったの。頼れる人が誰もおらず、学校もずっと海外で友だちが日本にいない夢子がなんとか生活できて病院にも通えるのは、仕事があるからですもの。
母との電話で心が消耗される
とはいえ、捜索願が出されたりして逆に職場で大変な騒ぎになるのも困るので、夢子は一本だけ実家に電話を入れたの。
「通勤時間が長くて疲れるから、勤務先の近くに引っ越しました」
正直に「あなたと同居するのが無理だから」といってまた怒鳴りあいになるのが嫌だったから、夢子は嘘をついたわ。夢子はとにかく感情を殺して話すよう努めたけれど、電話で母親と話すだけでも嫌悪感でいっぱいになってしまったわ。
「なに勝手なことしてるのよ! 残りの荷物さっさと取りに来なさいよ、アンタのものだらけで邪魔なんだから! あと、アパートの鍵のコピー、こっちに置いていきなさい!」
「残りの荷物は近日中に取りに行きます」
それだけいって夢子は電話を切り、吐き気で胸がむかむかするのをこらえながら母親の電話番号を着信拒否に設定したの。鍵のコピー渡すわけないでショ、と思いながら。