アウトローたちと対立する権力
では、技術を重んじ、人間の尊厳を守る沖田と対立するものは何かというと、病院の存続を第一に考える人たちになります。その筆頭が、院長の娘と結婚し、病院内の権力を手にしたいと考える壮大です。壮大は見るからに寂しい人間です。結婚そして出世欲は、昔は下に見ていたであろう沖田に対する強いコンプレックスを克服したいがためのものに見えてしまうし、ドラマの中でもっとも「男らしさ」に縛られていて、だからこそそこから解き放たれた沖田に対して、「嫉妬」にくるってしまう人物として描かれていると考えていいでしょう。この壮大を演じる浅野忠信の演技が不自然、という評価も見ましたが、私は逆に、沖田と壮大は光と影のような関係性に見えるため、とてもしっくりきているように思っています。また、この物語は、ある意味、壮大がいかに「呪い」から解き放たれるのか、それともやっぱり呪われたままで生きていくのかが、面白さになっていくでしょう。
壮大の後には、病院の存続を考える人物として、「技術だけじゃ、みんなを食べさせられない。人間人脈づくりは大事だよ」と語る羽村が続きます。「呪い」の正体を知りつつも、それにのっかるしかないとあきらめているような羽村もきっと、今後の物語のカギとなることでしょう。
面白いのは、最初は論文の数や出世にこだわり野心満々であった井川が、沖田と出会ったことで、徐々に変わっていくであろう部分です。井川は悪い医師ではありませんが、慢心があり、それによって失敗してしまう、つまり自信過剰で世間知らずで詰めが甘い人物です。その幼さは、裏を返すと、まだどちらにもいく余地を持っていることを感じさせます。
第二話の最後に沖田は、手術に成功した和菓子職人から、彼の息子が作ったという和菓子をもらいます。本来は病院の規則で、患者から何かをもらっても受け取ってはいけないのですが、それを無視して和菓子をほおばる沖田は、深冬、柴田、そして井川にお菓子をすすめ、彼らはそれを口にします。
このシーンは、ヤクザの杯のような意味を持ちます。禁止されている行為をする(=患者からもらったお菓子を食べる)ということは、病院という権力が決めた決まりを逸脱する行動のメタファーです。このシーンで、沖田、深冬、柴田、そして井川は、技術を重んじ、人の命を重んじる沖田の仲間(権力を信じ存続させたい壮大の側からすると、アウトローたち)になったことがわかるのです。
病院の会議に初めて参加したとき、沖田は一番後ろの席をすすめられました。そのとき、一番前には理事長と副院長の壮大、彼の愛人で病院の顧問弁護士である榊原実梨(菜々緒)が座っていました。この会議の席順は、権力への執着を意味するものです。もし病院で次々と手術を成功させても、沖田は前に座ることはないでしょう。むしろ、単に後から来たから沖田を後ろの席に座らせたのではなく、席順は権力と考えて脚本を書いているのだと私は信じています。
「大丈夫」にこめられた意味
このドラマでは、患者に対して安易に「大丈夫」といわないよう、医師に対して指示するシーンがあります。この「大丈夫」は、『ドクターX ~外科医・大門未知子~』の「私、失敗しないので」にも通じるセリフです。本来ならば、医療で「絶対」はありません。ですから安易に「大丈夫」と言うことは、無責任な言動ともとらえられます。しかし、沖田は敢えて「大丈夫」と言います。沖田が「大丈夫」と言うのは、徹底した準備をしたときだけだからです。この「大丈夫」もまた、病院側の、コンプライアンスや訴訟を恐れ、保身だけを考える態度への抵抗とも受け取れるのです。
昨今のドラマは、撮りながら放送して、脚本も放送中に書きあげられるものが多いと聞きます。また、視聴率を気にするあまり、あっちへいったりこっちへいったりと無理に視聴者の評価に迎合して、テーマや作家性がなくなってしまうものもあります。
しかし、結局評価を得るのは、『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS系)のように、楽しいラブコメであると同時にテーマがしっかりしていたものでした。そして、このドラマも、権力に固執する男と、権力から自由な男との闘いというテーマがあります。以前紹介した映画『インサイダーズ/内部者たち』などにも通じる部分がありました。
ドラマの中で「準備」の大切さが描かれているだけに、プロデューサーや脚本家もかなり時間をかけ、じっくりと準備しているのだなと感じました。細かく物語を追っていっても、シーンに意図がしっかりこめられていることがわかるからです。木村拓哉の作品というだけで敬遠している人にも、徐々に届く作品になればと、第二話放送時点の現在は思うのです。
(西森路代)
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