一方で「女性自身」は、Aさんとは最初は軽い遊びのつもりだった、と渡辺の胸中を推測している。それが次第に彼女にのめり込んでいったのは、おととし渡辺がニューヨークで主演したミュージカル『王様と私』がきっかけではないかというのだ。日本では「ミュージカルの本場で日本人が主演を務めた!」「トニー賞にノミネート!」と華々しくメディアが取り上げたあのミュージカルである。渡辺が成し遂げた快挙に日本中が惜しみない賛辞を贈ったものだった。だが、アメリカの日本人社会では「渡辺の英語がなにを言っているのかがわからない」「国辱ものだ」と厳しい批判があったという。そして渡辺はこの頃からAさんにのめり込んでいったのだというのだが……。
渡辺の所属事務所・ケイダッシュの川村龍夫会長は、同誌に「離婚の可能性はゼロ」とコメントしており、夫妻の知人も「南さんは、渡辺さんを許す(中略)渡辺さんが心の底からの謝罪をすれば収まると思います」と見ている。ただ、渡辺は、南が乳がん手術を終えた後、「果歩のすべてを一生愛す」という文面のメールを寄越したそうで、そうした“献身愛”があったとすれば、それを南が信じていたとすれば、今回の不倫報道で彼女が受けるダメージはむしろいっそう強まるだろう。すでに仮面夫婦であったなら問題はなくとも、信じていればいるほど、裏切られたことへの失望は大きいからだ。
と、ここまで書いて筆者はあるひとつの渡辺に関するエピソードを思い出した。それは、2016年5月に亡くなった演出家の蜷川幸雄さんの告別式に渡辺が参列したときの出来事である。俳優の平幹二郎が弔辞を読んでいる間中、渡辺は隣に座っていた歌手の森進一に、自分と蜷川氏との思い出、そしていかに蜷川氏に恩があるかを延々と語っていたのだという。渡辺は劇団「円」の研究所に入所していた頃、アルバイト先で知り合った猪俣公章氏の紹介で蜷川氏演出の舞台のオーディションを受け、主演の青年役に大抜擢されている。これをきっかけにしてスターの階段をあがっていくことになるわけだから、蜷川氏に対して特別な思いがあることはよくわかる。森は猪股氏が作曲した「おふくろさん」を歌唱しているため、告別式で森を見かけて縁を感じその思いの丈をぶつけずにはいられなかったのだろうが……。
森はこのエピソードを自身のコンサートMCで披露しているのだが、そのコンサートの客席にいた森ファンである知人は「人の縁を感じるいい話でしょ」と感激していた。しかし筆者はこれを「いい話」というよりは、変な話だと受け止めた。渡辺はテレビカメラも入っている告別式の席で、しかも大先輩である平幹二郎が弔辞を読んでいる場で、森に延々と話しかけていたということになる。下手をすると不謹慎ととられかねない行動ではないか。森もコンサートではこれをいい話として披露しているものの、内心は喋りかけられて困惑気味だったのではないだろうか。だってテレビカメラが入っているのだ、弔辞そっちのけでおしゃべりする2人の姿をいつ抜かれるかもわからないではないか。そんな場面がお茶の間に流れてしまうと、渡辺だけではなく話しかけられていた森も「まあお葬式の場で不謹慎な人たちね」と視聴者に思われかねない。このエピソードひとつとっても、渡辺が少々“空気の読めない男”であることが滲み出ている。
今回の不倫でこのエピソードを思い出した筆者は、つまり渡辺謙という人は、あまり周囲に細かな気を配るようなことなどできないタイプ、そしてひとつのことに熱中すると周りの目なんて全く気にならなくなるタイプではなかろうかと想像している。だからAさんに夢中になったのも、家がどうとか演技酷評がどうとかそんな言い訳めいたものはなく、ただ「好きになっちゃったから」それだけではないだろうかと思うのだ。妻はいるけれど、Aさんが大好きになっちゃったから、SNOWアプリでニャンコにも変身しちゃうし、電話を切る時は「おやすみチュッチュッ」とも言っちゃう。だって好きなんだもん。
さて、では南は先述のように「失意のどん底」にいるのかというと、それもまた違うように思う。妻である南は渡辺のこの熱くなりやすく周りが見えない性格などおそらく承知のうえだろうし、今回の不倫では夫婦の仲はびくともしないのかもしれない。なんらかのお仕置きはするのかもしれないが、今後もおしどり夫婦として渡辺の尻を叩きながら強くたくましく芸能界を生き抜いていくのではないだろうか。
(エリザベス松本)
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