劇場へ足を運んだ観客と出演者だけが共有することができる、その場限りのエンターテインメント、舞台。まったく同じものは二度とはないからこそ、時に舞台では、ドラマや映画などの映像では踏み込めない大胆できわどい表現が可能です。
撮り直しやテクノロジーによる底上げができない“生身”での勝負を日々繰り広げている舞台俳優たちには、確かな実力や高い技術を持ち合わせているというイメージがあります。そのひとつが、宝塚歌劇団。劇団を卒業後に芸能界へ転身した元タカラジェンヌたちは、芝居はもちろん歌やダンス、着物姿での所作までカンペキ、と思われがちですが、「本当に?」と聞かれれば、演劇好きだけでなくヅカファンのなかでも賛否両論、心もち否定意見が多め……が実情です。
では、舞台というフィールドの中でタカラヅカは劣るのか、といわれれば、それは「違う」と明言できます。タカラヅカの魅力は、現在放送中のドラマ風にいえば「見た目が100パーセント」。その“見た目”を作り上げるために、少なくとも芝居心は大切な要素です。現在東京宝塚劇場で上演中の星組公演「スカーレットピンパーネル」と、主演の男役トップスター・紅ゆずる(くれない ゆずる)を例に、改めて考えてみました。
性愛描写は“朝チュン”まで
「清く正しく美しく」というモットーで知られるタカラヅカとエロチシズムは、一見すると対極に存在するもののように感じられると思います。タカラジェンヌの年齢や本名は基本的に非公開、プライベートな部分や清廉なイメージを守るため、報道情報や作品の演出方法には「すみれコード」という一定の基準が設けられています。性愛描写はキスシーンや、男女が結ばれたことを暗示する“朝チュン”がせいぜいです。
セクシーな描写のないタカラヅカのどこにエロスがあるかというと、文字通り「見た目」です。タカラヅカが愛される理由は劇団員の容姿端麗さが最も大きいのですが、それと同じくらい大きな比重を占めるのが、タカラヅカの作品には、トップスター演じる主人公とヒロインのあいだに必ず愛があるという安心感。たとえ悲恋に終わる物語でも、麗しい男性が結ばれるべき女性をひたすらに愛する姿と、その顔にときめくのです。実際、ファンが「エロかった~!」と評するのはほとんど男役。作品が “男尊女卑”な作りであることも根底にあるのですが、歌舞伎のような倒錯的なエロスというよりは、生々しさが排除された異性としての魅力です。
ファンの大半を占める女性の心を動かすのに、歌やダンスの超絶的な技巧は必ずしも必要とはされていません。大切なのは整った外見と、ファンの求める“絵”を察して表現できる芝居心。紅ゆずるは、まさにその典型です。