日テレ水10枠『母になる』。第七話では、結衣(沢尻エリカ)と麻子(小池栄子)の激しいバトルが繰り広げられましたが、視聴率は7.9%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と前回より1.6ポイントダウン。前回明かされた麻子の過去が、毒母・セクハラなどの問題てんこもりで重すぎたことで、若干しらけた視聴者がいたかもしれませんね。このドラマ、結衣は聖女だし、麻子は不幸な女で、女の分類を極端に振り切りすぎじゃないでしょうか。
【試写レポート】テレビドラマにおける母親という存在の描かれ方
【第一話】沢尻エリカ演じるベタベタ清純派の良妻賢母が宿した小さなリアリティ
【第二話】3歳まで育てた産みの母は「何も知らないおばさん」…育ての母の強烈な手紙
【第三話】育ての母の態度急変!親たちに振り回される不憫な息子
【第四話】一人で苦悩する母親、父である男と一緒に親になることはできないの?
【第五話】最低な母親でもかけがえのない大切な人と思うべき? 聖母か鬼女か、極端な母親描写
【第六話】「あなた母親じゃないわ」「母親って何ですか?」他人の子をこっそり育ててきた女の事情がついに明かされる
NGワードは「かわいそうに」
結衣は過去を知った上で麻子を柏崎オートで雇う、けれどその前に麻子と向き合うと決断し、一対一の対話に及びました。自分と麻子は立場が違えど一生懸命子育てしたという「母」としての気持ちがあればわかり合えるのではないか、それが広のため、広のためなら何だってできる、と結衣は思ったわけです。その決断にも、それを後押ししたであろう我が子のためなら何だってできるという結衣の母性観にも、それを丸ごと肯定するかのようなドラマの世界観にも、私はどうにも違和感を覚えちゃいます。ひとりの女性の思考回路を「母親」という立場にがんじがらめにしているようで窮屈。ある意味、結衣のような母性観こそが、今の世間が「母親」に求めているもの、なのかもしれませんが……。
そして結衣の考える「わかり合う」とは「お互いの立場をはっきりさせておきたい」ということのようですが、今回の場合、結衣と麻子が広のために憎み合うことをせずわかり合ったとしても、それは大人の事情、母親の事情であり、もし本当に麻子が柏崎オートで働くことになれば、むしろ広のほうが混乱してムリ! じゃないですかね。広にとっては麻子が自分の「ママ」だけれど、しかし表面上はそう振る舞ってはいけないとされているのですから。
いろいろ不可解なんですけど、それでも両者ともに演技派女優である結衣と麻子のバトル自体はやはり見物! 陽一と広が釣りに出かけて不在のある日、ママ友・莉沙子(板谷由夏)立ち合いのもとで結衣と麻子は対峙しますが、序盤は両者とも殊勝な態度。結衣は、一度は施設に戻りたいと言った広が自ら私のところに帰って来てくれた、少しずつ穏やかな生活を取り戻してきているから心配しないでほしい、「もうこれからは、広のことは母親である私に任せてください」と微笑みます。対する麻子はこの9年間の結衣と陽一の苦しみを里恵(風吹ジュン)から聞かされ、私は何てことをしたのだと気付いた、「本当に申し訳ありません。申し訳ありません」と頭を下げました。
バトルはここから! 謝罪する麻子に結衣がかけた同情発言で、事態は一変しました。結衣はこんなことを言ったのです。
「いろいろとやりきれないことがあったんですよね。子どもが欲しいのにできなくて……かわいそうに」「麻子さんの追い詰められた気持ちもよーーくわかりました。大変だったんだなーって。今日こうしてお会いすることができてお互いのことわかり合うことができてよかったです」
わかり合えて……ないですよね……。結衣の言葉で気分を害した麻子はさっきの謝罪とは打って変わり、ぶっきらぼうな口調で「確認してもいいですか? 柏崎オートで雇っていただけるんですよね? だっていま私のこと許してくれたんですよね? そういうことでいいんですよね?」。ここからがバトル本番です。
結衣は「待って? どういうこと? 柏崎オートで雇ってもらいたくて今日来たの?」
麻子「そうですよ」
結衣「申し訳ありませんって頭下げたのも、嘘?」
麻子「嘘じゃないですけど」
結衣「私のこれまでの話、わかったようなこと言ったのは?」
麻子「ああ、かわいそうだなって」
結衣「はあ!?」
麻子「そっちもさっき、私が子どもできなくてかわいそうって言ったじゃないですか。そういう感じ」
麻子の態度に結衣はもちろん怒り心頭で、「本音を言いなさいよ!」と詰め寄ります。確かに、安易に「かわいそう」という言葉は安易に発するものではないし、通常ならば無神経。また、自分を「かわいそう」と言う相手とわかり合えるはずもありません。でもそれは通常の場合であって、結衣にしてみれば、麻子をかわいそうと思わなければ、憎んでしまうから、同情することで平静を保っている面もあるのでしょう。
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