インタビュー

聖母のような母も無罪ではなかった。父と同じ毒親だったんだろう/あらいぴろよさんインタビュー【3】

【この記事のキーワード】
あらいぴろよさん (撮影: 山田 秀隆)

あらいぴろよさん
(撮影: 山田 秀隆)

  全三回にわたり、イラストレーター・あらいぴろよさんのインタビュー記事をお届けしています。ぴろよさんが上梓したコミックエッセイ『“隠れビッチ”やってました。』(光文社)。パッと見はライトな作風に見えますが、読み進めていくと自身の“隠れビッチ”経験とそこからの脱却、愛に飢えた子供である自分の弱さを自覚して受け入れるまでを描いたズッシリ重い作品です。

◆前篇【『“隠れビッチ”やってました。』男性からチヤホヤされる気持ちよさで満たされていた20代
◆中篇【「私を好きなら全部受け入れる義務がある!」歪んだ恋愛観に付き合った“都合のいい夫”

男性にチヤホヤされることで心を満たしていた“隠れビッチ”期、彼氏に過剰な愛情表明を強いていた恋愛期を経て結婚、妊娠、出産。けれども思い描いていた幸せママにはなれず、産後うつで疲弊しているところに、DV男である憎き実父がガンを患い会いに行かなければならなくなります。強いストレスがかかり現実逃避のため不倫しようと動いたぴろよさん。今年3月に発売された、『ワタシはぜったい虐待しませんからね!― 子どもを産んだ今だから宣誓!』(主婦の友社)と重なる時期の話でもあり、2作品を横断しつつ<自分を愛せない女が育児に取り組んでぶつかった壁>について、お話を伺いました。

私の産後状態に共感する人は、危険信号

――いずれの著書にも妊娠中や分娩については省かれていて、出産後、精神的にやや不安定な状態になっているところからが描かれています。父親から暴力をふるわれていた幼少期の夢をよく見るようになったり、脳がイカれて文字が読めなかったり、我が子に手を挙げてしまいそうになったり、不倫に走りかけたり。ぴろよさん、いわゆる産後うつでしたよね。

あらい 産後半年間は、ほんっとにキツかったですね。ホルモンの影響で、防衛・生存本能がすごい過剰になっちゃって、もう、「私を見る者(評価する者)、全て殺す!」みたいな殺伐とした感じだった。あれは完全に産後うつです。

夫のお母さん……義母も本当にいい方なのに、産後の私の態度は酷かった……。義母は、今思えばただ合理的なことを言ってくれてるだけなんですけど、私は「なんであんな言い方する? 悪意がなきゃ何言ってもいいのか? 許せねぇ!」とか、「私の気持ち、全然考えてない!」ってひとりでカリカリしていて。義母も「ぴろよさん、すごい変わっちゃったけど、大丈夫かな」って心配してくれてたみたいです……。

――出産したことで、不安や責任感を背負いすぎてしまったのでしょうか。

あらい 幼少期に、身近な人に認めてもらえなかったので、「いい子じゃないと」「ちゃんとしてないと」「ひとりで生きていかないと」という強迫観念みたいな意識はやっぱりあったんですよね。だから妊娠・出産を経て、「いい親にならないと」と思う反面、「私は、こんなこともまともにできないのか。世の中のお母さんはやってるのに」って自分のダメさが明確になる気がして、ものすごく落ち込みました。

つわりで動けなくて仕事ができない時も、子供のことよりも「私、なんのために生きてるんですかね」って自分のことを考えてしまっていました。本当は自分で抱え込んでるだけなのに、みんなが私を責めるんだって被害妄想がひどくてどうしようもなくて。振り返ると、早く病院行きなさいよって思うんですけどね。

――産後は産後で、ホルモンバランスが崩壊しますし、睡眠時間がほとんど取れないしで。

あらい そう、そんな状態で私や夫が望むような、いつもニコニコのママって無理でした。それがまた産後うつを加速させる……。

私の場合は、家の中で仕事をしてたことでどうにか正気を保ってた部分はありますけど、あの時こそ一番、病院に行くべきだったなぁと思いますね。子供に対してカッとなる気持ちを笑いに転換できなかったら、かなりキテる状況。だから、この本を読んで「わかる」ってなる人は、危険信号が出ていることに気付いてほしいと思いますし、これ以上になっちゃったらとりあえず病院に行くことをオススメします……!

一時保育や病院はお金がかかりますけど、トータルで見れば安いものですから、ぜひここらで一度肩の力を抜いてほしいです。壊れてからじゃ遅いので。

――産後1カ月からこの『“隠れビッチ”やってました。』の原稿に取り掛かっていたそうですが、虐待や他人を弄んだ経験など過去の記憶を掘り起こす作業は、メンタルヘルスを悪化させませんでしたか?

あらい この原稿が悪化させる要因だったかどうかはわかりません。正直、育児しかなくてもしんどかったと思います……。「いいママとは~!」という強迫観念もあって一時保育なんか行けない! って思い込みも強くて休みなんか取れませんでしたし、当然里帰りもできない。さらに育児していけばいくほど、親が私にしたことの意味がわかってしまう状況ですから、育児するだけで、答え合わせを強制的にさせられしまう感じなわけで。

ただ、この話をまとめようとした時、本当に極限状態だったから深く深く掘り下げられたのは事実です。まさに「今しか描けない!」って思って集中できました。そうして2年半かけて作品が完成する頃にようやく、子供に対して「私が絶対幸せにしなきゃいけない」「守らなきゃいけない」「いいママとは~!」という思い込みを越えることができました。今は我が子の肩を「頑張って生きような」とポンと叩くくらいの、健全な距離が取れてるなと思います。

――母子として健全な距離を取らないと、マズイと思っていたんですよね?

あらい 以前のままの自分だと、過干渉ママになっちゃうなぁと思いました。私は親から愛されたかったから、こんなんなっちゃったわけで。だからこの子はちゃんと愛され、しかるべき幸せを! って思い込んでいました。

でも、全部お膳立てして息子を幸せにしたとしても、私が死んだあと息子はどうやって生きるのかなぁって考えたら、このままじゃダメだ! って。私が敷いたレールでしか生きられない人間にするのは愛じゃなく、やはり虐待だ、と気づいたんです。

だから、なるべく早く健全に息子から離れないといけないと思いました。もちろん0歳児で干渉しないなんて無理だし、乳児の時は生命としてこの子を生かさないといけないからつきっきりでした。でも、1歳くらいから自我が出てきて変わるんですよね。1歳までは「保護」で、それから先は子供自身がこの世界のことを勉強して成長していくから「教育」に変わるんだと。毎日が忙しすぎて見落としていたため、私は2歳過ぎまで過干渉気味でしたけど、ようやくそう思えました。

1 2 3 4 5

[PR]
[PR]
本当にあった愉快な話芸能ズキュン! 2017年 06 月号 雑誌 “隠れビッチ”やってました。 ワタシはぜったい虐待しませんからね!