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産まないセックスで消えたい女による、日本の愛とセックス分断考

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「性器をつなげたくらいでは2人は溶解しない」(イラスト/別珍嘆)

結婚=出産の等式

 政府による「少子化対策」のニュースを見聞きする度、女として生きる尊厳に刃を突き刺される。そんな気分になるという比喩ではない。実際に容赦なく刺されている。

 その刃物は一瞬で命を奪う、鋭く真新しいナイフではなく、長年に渡って物置に放置されたまま錆びて歯の欠けた鉈だ。切り口の鈍さゆえ致命傷には至らない程度に皮膚をかえって醜くえぐり、かき回し、いっそのこと今すぐ殺してくれと懇願したくなるほどの痛みと不細工な傷跡を残す。

 少子化は国にとって悩ましい問題だろうが、その一因として結婚率の低下や独身女性の増加が挙げられるあたりが気に入らない。いつまでこの国は結婚と出産をイコールの等式で結ぶつもりか。子供を求めない夫婦や求めたとしても結婚したくない男女はいくらでもいる。私自身は非婚・非出産を望む。「血縁を結び、子を産む」行為を無条件には受け入れ難い者にとって、それが常識、大前提とばかりに愛情とセックスと結婚と出産と国政を括って語る日本は生きづらい。

 非嫡出子がいまだ差別的な対応を受けがちな日本の風潮において、婚外子出産を推奨するか否かを「少子化対策」として議論している以上、「個人の選択の自由」に焦点が当たっているからこそ婚外子出産が盛んなヨーロッパ諸国のようにはいかない。父として、母としての役割を全うしながらも個人として生きる権利を尊重する精神性とはかけ離れた、「結婚」という血縁契約制度および「家族」の結束を疑いなく重んじ、無契約者を侮蔑しがちな日本人の気質を問う国民教育が成されない以上、埒があかない。

 ただの制度やシステムそのものは、しかし、気に入らないだけで私を傷つけることはできない 。世など自分の気に入るようには設計されていない。「おまえは女だから嫁いで子を産め」と言われた際には、怒りのメーターが振り切れた時ならではの冷静な激昂の体現である「棒読み」でお断り申し上げればいいだけの話である。自分らしく生きるために、女を強いる社会と闘うことなら慣れている。上手に勝てたためしはないが、不格好でもいい、敵視されてもいい、私は抗う。ずっとそうして闘って来た。

セックスの情緒

 痛みをもって苦悶するのは、結婚・出産には当然ながら欠かせない男女のかけがえのない愛情の機微やセックスの情感には触れぬまま、消費税やセンター試験撤廃と共に「対策」として取り沙汰される際の、性愛の「感受性の欠落」である。

 感受性を扱う機構ではない政府には、産みたい女性が安心して出産・育児に励める保障や制度を早急に整えていただきたいが、愛情と肉欲のせめぎ合いより発生する不安定な恍惚の情感を生きる証と捉えて重要視するあまりに、結婚・出産を放棄する選択をした者として、それが棚上げされた状態で「産まない女」を問題視されると辛くなる。

 痛いのは感受性の欠落そのものではなく、極端に「セックスの情緒」に耽溺したがる自分の悦楽思考である。1つ屋根の下で夫と子供と仲睦まじく暮らす温かい家庭像を羨ましく思う反面、恋愛の輝かしい高揚感やセックスの陶酔感が安定とぬくもりの「家族愛」のうちに軽減される可能性が1%でもあるなら拒絶したい。そんな自分の意志と感性が、本来子供を産むために備わった自分の子宮を深くえぐる。

 セックスの快楽はただの肉欲に留まらない。抱擁の安堵。個体が溶解するような不安定な恍惚。とめどなく高揚する感情と恥辱。どこまでも深く引きずり込まれる不安への耽溺。互いを傷つけては癒す多幸感と罪悪感。肉欲はアンビバレントな夢幻の情感に撹拌されながらうねりをあげ、ついに果てた時、途方もない喪失感と共に死を思う。

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林永子

1974年、東京都新宿区生まれ。武蔵野美術大学映像学科卒業後、映像制作会社に勤務。日本のMV監督の上映展プロデュースを経て、MVライターとして独立。以降、サロンイベント『スナック永子』主宰、映像作品の上映展、執筆、ストリーミングサイトの設立等を手がける。現在はコラムニストとしても活動中。初エッセイ集『女の解体 Nagako’s self contradiction』(サイゾー)を2016年3月に上梓。

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