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恋愛でも結婚のためでもなく、ただようだけのセックス

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パリ、ただよう花

『パリ、ただよう花』ロウ・イエ監督 2013年

『パリ、ただよう花』  ロウ・イエ監督(2013年)

 ロウ・イエ監督といえば、『天安門、恋人たち』(2006年)が激しい内容とセックス描写から中国国内で5年間映画製作・上映禁止処分になった過去や、前作『スプリング・フィーバー』(2008年)では大胆に同性愛を描いていることから、なにかと過激な映画監督というイメージ。その監督の最新作『パリ、ただよう花』も、今まで同様とにかく男と女がセックスしてるシーンが頻繁に登場し、また何かしら問題になりそうな作品であることと、そんな映画のくせに全然エロくないことには変わりないのだが、微妙に過去の作品と違う部分があるとも感じたのだ。

「憧れのパリ」とは違う情景

 北京で知り合ったフランス男を追いかけてパリまでやってきたらしい中国娘のホア(うまくいってない同郷の同棲相手がいる)、しかし映画開始3分後にはその男に、最後に一回抱いてと泣いてせがみ「もう愛してないんだ」とあっさりフラれてしまう。ひどいショックに呆然と町を歩いてるとき、ひょんなことから肉体労働者のマチューと出会い、たいした会話もしないうちそのままその日に道端でセックス。しばらくは仲良く付き合うけれど、だんだんとすれ違い出すふたり、男の愚行も重なって(別れ話をすると「死んでやるー!」と騒いだり、友だちとの賭けに彼女を売ったり、実は妻がいることを隠していたりいたり……)、疲れ果てるホア。でも会う度セックスしてしまう、でも別れたい、でもしてしまう、そんなことを繰り返し、最終的にはあっさり北京に戻って堅実な元恋人と結婚することを選ぶ。

 なんてことない、若い恋人同士あるあるみたいな話である。

 舞台がパリだからといって、オシャレな雰囲気が漂うわけでもない。むしろ登場するのは中国人や移民ばかりで、ほとんどフランス人は出てこない。幾度となく映る車や電車の窓から見える街並も、日本のアラフォー元オリーブ女子が憧れるようなきらきらしたポップなパリでは全然なく(北川悦吏子監督『新しい靴を買わなくちゃ』は、パリを舞台にした日本人アラフォー女の夢を描いたトンデモ映画として、必見)、アジアかヨーロッパかもよくわからないほど。そんなところで若い男女があーだこーだ言いながらくっついたり離れたりしてる姿を見せられても、本来なら「勝手にやっとけよ」と一蹴したくなるのだが、この映画をそう簡単に切り捨てられないのは、ホアという女性が、執拗に繰り返すセックスという行為に、何を求めているのか、もしくは何も求めていないのか、見ていても、一向にわからないからだ。

孤独を埋める一瞬の連続

 『天安門、恋人たち』では、激動の1989年を生きる中国の恋人たちにとってのセックスだった。『スプリング・フィーバー』では男と男と女の問題についてのセックスだった。しかし今回は、若い女にとって、もはや“セックスが問題なのか”すらわからないのだ。

 体の穴を埋めたところで心の穴は埋まらない、とよく言うがそれはさて置き、中国人じゃなくてもパリじゃなくても、わたしたち女は我慢できないような性欲とはまた別の感情から、セックスを求めることがある、ように思う。それは簡単に言ってしまえば「寂しさ」からと表現できるかもしれない。特に留学先なんかではより人肌恋しくなってしまうこともあるのだろう。寂しいからとにかく身体を求め、婚約者がいるのに別れたはずの男ともセックスする。

 ホアは劇中何度か「あばずれ」という罵声を浴びる。確かにそうなのかも知れない。しかし、そこに結婚したいという煩悩や独占したいという征服欲も存在しない、セックスをするという行為だけが事実として浮かび上がる彼女の行動に、あばずれだとか、もしくは孤独で可哀相な女だなんて深い意味を求めるのは正しくないと思ってしまう。

 彼女は、ただ、パリや北京をただよい、生きているだけなのだ。そしてホアは、そんなことを繰り返しても心の穴は埋まらないし、自分を消耗するだけだとわかって見切りを付けられる、冷静な女でもある。それって、世の大半の女も一緒じゃないだろうか(中には、そんな器用に見切りをつけられず、ずるずる穴を広げる一方の女ももちろんいるだろうが)。それを男たちがあばずれと呼ぶなら、それでも構わない。

 そんなホアの姿を、彼女に大袈裟なトラウマを背負わせたりドラマチックな不幸に巻き込ませたりするわけでなく、上から目線で女の行動を非難したり賞賛したりするわけでもなく、その地味に繰り返される日常を終始手持ちカメラで至近距離から追いかけるこの作品は、だからこそ、ホアの「ただ生きている」姿がひりひりと伝わり、中途半端に感情移入することを許さない。久しぶりに会った元カレとついやってしまう気持ちわかるわ~、と言うことはできても、ホアがどんな気持ちでいるのかは、実は全然わからない。それは、映画が他人の気持ちを説明することなんて不可能なのはもちろん、現実でも他人のことを真に理解するなんて不可能だということ、それでもわたしたちは他人を求めてセックスしてしまうんだという、無意味で愚かだけど切実な事実を伝えてくれる。

 東京でも、ゆらゆらとただようことしかできない、たまに心底疲れるし、鏡を見て泣いてしまうこともあるけれど、それでも「生きている」女性たちに是非見て欲しい映画である。

■gojo /1979年生まれ大阪出身、立教大学社会学部社会学科卒。2005年より自身のサイト「gojo」にて映画日記を執筆、2010年には蓮實重彦、黒沢清『東京から 現代アメリカ映画談議』(青土社)の出版記念トークイベントにてインタビュアーをつとめた。gojogojo.comで映画日記を更新中。

gojo

1979年生まれ大阪出身、立教大学社会学部社会学科卒。2005年より自身のサイト「gojo」にて映画日記を執筆、2010年には蓮實重彦、黒沢清『東京から 現代アメリカ映画談議』(青土社)の出版記念トークイベントにてインタビュアーをつとめた。「森﨑東党宣言!」(インスクリプト)に寄稿。gojogojo.comで映画日記を更新中。

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