劇場へ足を運んだ観客と演じ手だけが共有することができる、その場限りのエンターテインメント、舞台。まったく同じものは二度とはないからこそ、時に舞台では、ドラマや映画などの映像では踏み込めない大胆できわどい表現が可能です。
カメラという媒体を通さず、俳優たちの演じる姿を直接目にすると、映像作品とはまた違った魅力を発見できることが多々あります。テレビドラマを主戦場にしている若手の「ナマでみると芸能人はやっぱりキレイね~」はもちろんですが、どんな舞台作品でも外さないと信頼している俳優が見せてくれる「まだ上があったの!?」という嬉しい驚きは、別格のもの。
そのひとりが、狂言師の野村萬斎です。伝統芸能の名門に御曹司として生まれた萬斎が時代劇のヒーローを演じても、ハマって当然だと思っていました。それが、先月上演された主演舞台「子午線の祀り」では、想像以上のエイジレスな貴公子ぶり、そしてそのセクシーさに驚愕させられたのです。
狂言師という出自を存分に生かし時代劇映画「花戦さ」も公開中の萬斎は、俳優以外にも劇場「世田谷パブリックシアター」の芸術監督を務める演出家の側面も持っています。
劇作家、木下順二作の「子午線の祀り」は、平家物語を下敷きに新中納言知盛の生涯最後の3年間を描いた叙事劇で、1974年に初演され過去7回上演。萬斎はそのうちの2回に平知盛役で出演しており、今回は自身が演出も手掛けています。
艶やかな声と台詞回し
源平の合戦で追い詰められた平家を率いる知盛は、一の谷の合戦で源義経の奇襲を受け海へ追い落とされ、武将としての自分が揺らぎを覚えていました。後白河法皇の要望もあり、命ではなく知恵で戦おうと、舞姫である影身の内侍(=かげみのないし、若村麻由美)を京への使者に立て、和睦の道を探ります。
影身の内侍は、知盛の弟、平重衝(=しげひら)の情人ですが、知盛と思いを寄せ合っていました。満点の星空の下で波を眺めながら、彼女へ寄せる同情と信頼がにじみ、宇宙の営みについて語る萬斎の声がとにかく艶やか! 子ども時代に誰もが学校で習った「祇園精舎の鐘のこえ、諸行無常の響きあり」の一説のように、平家物語ならではの難解なセリフが続くのですが、文学を身体で立体化する能楽の技術に裏打ちされた萬斎の手にかかれば、知盛に“いま” を生きている人物像としての説得力が与えられていました。
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