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正社員として、定年まで働くと思っていた

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欲しかったのは安定

 怒られるのを覚悟で書きますと、大学を卒業して、仕事に就く段になり、私が一番重要視したのは、「安定」でした。その代わりといってはナンですが、社畜となり、馬車馬のように働くのは、全くやぶさかではございませんでした。引換に、どうか私に社会保険や厚生年金を……老後への不安を払拭できるような、安定を……どうぞお与えください!

 そう願ったのは、一重に、私は実家と折り合いが悪かったからなのでした。

新卒~契約社員時代

 そんな願いを胸に初めて職を得た先は、とっても安定した企業だったものの、私の身分は、あんまり安定しない契約社員でした。

 給料は額面で20万、手取りで16万。社会保険や厚生年金への憧れから就職しましたので、お給料からそれらが天引きされることは、あまり気になりませんでした。

 勤務地は東京。

 このお仕事を続けるうえで、一番のネックは、通勤時間、そして住まいでした。

 大学は東京からは物理的に離れた土地だったので、学生時代は一人暮らしのアパートを借りていました。「大学を卒業したら、北関東にある実家から東京に通勤すればよい」というのが実家サイドの公式見解だったので、私はありがたく身を寄せさせてもらい、通勤を始めました。この頃はまだ、実家と折り合いが悪いとは言っても、一緒に暮らすことはかろうじてできたのです。

 けれども、通勤時間が往復4時間~6時間(バスなので渋滞次第)だという事実に気がつくのがちょっと遅かった、うっかりさんの私だったのでした。

 もうひとつの問題は、公式見解とは裏腹に、実家の本音としては、学生時代のアパートから持ち込んだ私の荷物(洋服や日用品)を置くのを快く思っていない、という点でした。そのあたり、なだめ、すかし、実家と交渉を重ねつつ、なんとかダンボール15箱分、実家に置かせてもらっている状態でした。けれど、いつ、その一触即発な状態が瓦解するか不安な毎日でした。

 思い起こせば学生時代、「置いておく場所がない」ということで、実家に置いてあった私物(本・子供時代の賞状やトロフィー・卒業アルバム・ぬいぐるみ、等)は、なぜか同梱された実家の不用品と共に、ダンボール20箱の荷物として、実家から私のアパートに配送されてきました(荷物のほとんどはムッとしながら自分で捨てました)。祖父母に買ってもらった5段飾りのお雛様も送る、とその時言われたのですが、それだけは勘弁してください……と、どうにか阻止するので精一杯でした。ですので、実家と交渉した15箱は、この世における私の持ち物、全てなのでした。

 4~6時間ものバス通勤では、仕事帰りに買い物に寄る時間もなく、実家周辺にはカフェもコンビニもなく、あったとしても一緒に行く友達もいなかったので、この時期、主な出費は食費(仕事から帰っても実家に私の食事などない)と会社の飲み会(強制参加)、漫画や書籍代、そして実家へのみかじめ料だけだったのですが、やりくりが下手で、毎月4~5万程しか貯金できませんでした。

 この時期の私の願いは、早くまとまった額を貯金して、職場の近くに部屋を借りることでした。

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大和彩

米国の大学と美大を卒業後、日本で会社員に。しかし会社の倒産やリストラなどで次々職を失い貧困に陥いる。その状況をリアルタイムで発信したブログがきっかけとなり2013年6月より「messy」にて執筆活動を始める。著書『失職女子。 ~私がリストラされてから、生活保護を受給するまで(WAVE出版)』。現在はうつ、子宮内膜症、腫瘍、腰痛など闘病中。好きな食べ物は、熱いお茶。

『失職女子。 ~私がリストラされてから、生活保護を受給するまで(WAVE出版)』

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