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聖なるクリスマスを一人で過ごしたい女の孤独考

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(どいつもこいつもセックスセックス…。イラスト/別珍嘆)

クリスマスの解釈

 1人、無音の自室で朝から晩まで原稿を書き続け、一息入れてビールを飲みながらテレビをつけると、女性タレントによる「一人ぼっちのクリスマス」エピソードを悲惨な体験談として安定供給するバラエティ番組が放映されている。若い友人のFacebookを覗けば、クリスマスを一人で過ごす者を「クリぼっち」と呼ぶことを知る。

 そんな季節。クリスマスに予定がないことを寂しく思い、一人で過ごしたくないと焦る若者の声を聞く度に、「孤独なクリスマスも案外、いいものだよ」と諭す大人の当方は、もう何年もクリスマスに予定を入れていない。

 幼少の頃、キリスト教会堂に通わされていた影響からか、クリスマスは本筋通りジーザスの生誕祭であり、恋人や友人と賑やかに過ごすイベントの日ではないと認識している節が私にはある。

 聖書物語のどこをどう読んでも、底抜けに優しいただの良い人であるとしか解釈できない主人公・ジーザスを、私は子供の頃から敬愛している。2000年以上もの間、彼に十字架を背負わせたまま愛や罪や罰を能天気に説くキリスト教が憎い。ミサには行かない。彼の凄惨な磔姿を眺めて呑気に聖歌など歌えるものか。彼を本当に愛しているなら、あの背中から重たい十字架を引き剥がせ。ただの良い人として解放してやれ。そのためにも自分の罪に対する罰ごとき、自分で負って悶え苦しめ。諸人こぞって甘えるな。そんなことを考えながら一人、静かに心のジーザスと乾杯するのが私のクリスマスのイメージである。

 ジーザスにまったく思い入れのない者が、クリスマスをイベント事として楽しみたい気持ちはわからなくもない。本筋を度外視したデートやイベントにかまけた一週間後、神社に初詣行く、世界中の神様もびっくりの無宗教観を生きる日本人にとって、大切なものは信仰ではなくイベントである。むしろイベントという宗教を信仰しているようなところもあるが、それはかつて五穀豊穣を神に祈り、先人の死を悼む宗教行事をお祭事として継承して来た遺伝子の残滓であるとも考えられる。

 私もお祭事は大好きだ。好きな男性とのデートも、友人たちの集まるイベントも、とても楽しい。しかしそれは特にクリスマスと限定せずとも、いつだって楽しい。恋人や友人や家族や子供たちと賑やかに過ごす夜をうらやましく思うものの、クリスマスに掛かる得別感を本筋と結びつける者としては、ストレートな解釈を優先させずにはいられない。

 約束ノイローゼ

 クリスマスの解釈以前に、この時期はメディアに関わる者全員が悲鳴を上げる鬼の年末進行のド真ん中である。遊んでいる場合ではない。この書き入れ時に遊びの約束を入れられる余裕の方がかえって寂しい。

 とは言え、如何なる時も、公務員のごとく定時にきっちり質の良い原稿をあげ、遊びも充実させる公私の両立がプロフェッショナルの極意と心得ている。多忙を極めながらも余裕で遊ぶ度量を身につけたいものだが、お誘いいただいた忘年会に行けると踏んで電車に乗ったものの、緊急の連絡が来て仕事に戻らなければならないこともある。腕が悪すぎて、原稿が遅々として進まず、作業から離れられないこともある。クリスマスパーティーも忘年会も、その日、その時になってみなければ状況が見えない以上、「必ず行く」とは断言できない。

 土壇場で反古にしてしまう可能性が1%でもあるならば、はなから約束しない。「他者との約束」は、その人の時間を拘束する重大事である。時間とはつまり命だ。人間誰しもの生が死へのカウントダウンとして存在する最中、自分による干渉がその貴重な時間を不本意に奪うようなことはあってはならない。

 約束は必ず守る。遅刻しないよう極力10分前行動を心がける。しかし何かしらのトラブルによって相手を待たせてしまった際は、平身低頭、あなたに与えられし有限の命を無駄に消費させてしまって申し訳ないとお詫びする。あなたを尊重し、共有する時間を大切にしたい。できない約束はしたくない。生涯一人の男性を愛したいが、できると明言できない以上、結婚の約束はできない。そう考える私を、親しい友人たちは「約束ノイローゼ」と呼ぶ。

 楽しい会に誘われた時、「行きたい。でも、当日にならないと行けるかどうかわからないから、人数にカウントしないでほしい。無事に仕事が終わって、ふらっと行って大丈夫なラフな感じが許されるなら、都合がつき次第、行く。行けなかったらごめん。事前に人数をきっちり申告して予約する類いの集いであるならば、今のうちに欠席を表明しておく」と長々説明する私に、友人たちは「大丈夫だよ、ふらっとおいで。来れなくても、大丈夫。そんなに気にしなくていいから、当日気が向いたら連絡ちょうだい」と、ノイローゼを緩和させるお薬のような慈愛に満ちた言葉をかけてくれる。優しい友達に恵まれて本当に良かった。

年末の風物詩

 さておき。上記の複合的な理由により、12月後半は仕事の締め切り以外の約束を設けない。連日一人黙々と仕事に没頭する中、意外と順調に終わり、明日以降の作業にも差し障りがなさそうな時には、さて、どうするか。一人、静かにお酒を飲むか。行きつけのバーに出向いて馴染みの客と乾杯するか。間に合うようならパーティーに出かけるか。その時々の状況と感情に従って行動を選択する。

 あまりにも黙々と没頭するうちに、ふと気づけば、もう2、3日寝るとお正月というタイミングに差しかかっていることも往々にしてある。そう言えば10日間くらい誰とも会っていない。いつの間にかクリスマスも、顔を出したかった忘年会も終わっている。狐につままれたような気分になることも毎年末の風物詩的である。

 遊びの予定よりも、仕事が盛りだくさんな方が嬉しいので、多忙自慢のつもりで「いやあ、なんか仕事が忙しくて、気づいたらクリスマス、終わっちゃっていて」と誇らしく言うと、勘の良い友人は「でた、多忙自慢」と的確にいじってくれる。その際は、「うるさい」「正解」「誠に申し訳ない」などと返して無事に会話がまとまるのだが、なぜか毎年、この冗談が通じない者がどこからともなく現れて、私の自慢を「クリスマスを一人で過ごした寂しい女の自虐ギャグ」あるいは「本当は寂しいくせに虚勢を張った言い訳」と捉えたうえで独自の意見を展開してくるので気まずくなる。

 そう捉える人は概ね「一大イベントであるクリスマスを一人で過すことは寂しい」という解釈を前提に発言するわけだが、当方にとってのクリスマスはド真ん中ストレートの「ジーザスのお誕生日」である。最初の一歩から破綻している噛み合ない会話の実例を下記に挙げたい。

● 「なんだ、ナガコも一人だったの?  私も一人で、暇だったから、遠慮しないで電話してくれれば良かったのに」

 まず、当方は暇じゃない。忙しいと言っているのに自慢が伝わらない。次に、なぜ、おまえが一人で暇だからという理由で、私がおまえに電話しなければならないのか。クリスマスに一人で過ごす者が二人いたからといって、一緒に過さなければならない道理はない。私がおまえに電話しなかった理由は、忙しかった、一人で過ごしたかった、おまえに用はない、以上3点であり、したいが遠慮したわけではない。ナガコ「も」、私「も」と、同列で括ることこそできればご遠慮願いたい。一人で暇だという理由につき他者を求めるならば、同類と遊べ。

●「寂しいですよね、一人ぼっちのクリスマス。仕事ばっかりしちゃう気持ち、わかりますよ」

 一生懸命仕事をして、ジーザスの誕生日を一人粛々と祝うクリスマスを優先したい女の気持ちが、クリスマスに誰かと過ごしたい念願適わず、一人で過ごすはめに陥って寂しいという理由で仕事ばっかりしちゃうと嘆く湿った女に、わかられてたまるか。寂しかろうが楽しかろうがクリスマスだろうが何だろうが、好きで仕事をしているこちらをおまえの悲しい湿り気のうちに取り込むな。おまえはまだまだ実年齢的にも精神年齢的にも一人を持て余す幼稚なお年頃だが、こちらはとうの昔に自己を確立したおかげ様で、一人でゆっくりシャンパンを飲みながら思索したり、読書したり、音楽を聴いたりして豊かな情感を得る自由を心の底から愛でられるいい大人だ。大人と仕事をなめるな。

● 「ナガコさんらしくないですよ、自虐ギャグとか嫌いじゃないですか」

 だから、自慢なんだって。私の発言は、この書き入れ時にまさしく書き続ける仕事を山のように頂戴している自分、最高という、正真正銘の多忙自慢以外の何ものでもない。仰る通り、自虐ギャグなど大嫌いだ。クリスマスに仕事で喜ぶ女がいるという発想がおまえにはないとするなら、自虐ギャグを連呼する女性芸人が「クリスマスは仕事ですけど何か」と言っただけで爆笑が起こる下らないテレビ番組の見過ぎではないのか。

●「なんでだろうなあ。ナガコさんがクリぼっちなんてあり得ないですよ」

 おそらくこれは、褒め言葉か、お世辞として言ってくれた一言なのだろうが、大きなお世話だ。放っておいていただきたい。恋人と過ごすのも自由。友達と過ごすのも自由。一人で過ごすのも自由。人はみなそれぞれであり、誰もがそれぞれの自由をきちんと尊重するべきだ。だいたい何なのだ、その「クリぼっち」というクリトリスのぽっちのごとくの間抜けな言葉は。意味合いを瞬殺したうえで省略する鬱陶しいワードを流行らせるな。脳を腐らせたくなければちゃんとした日本語を話せ。

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林永子

1974年、東京都新宿区生まれ。武蔵野美術大学映像学科卒業後、映像制作会社に勤務。日本のMV監督の上映展プロデュースを経て、MVライターとして独立。以降、サロンイベント『スナック永子』主宰、映像作品の上映展、執筆、ストリーミングサイトの設立等を手がける。現在はコラムニストとしても活動中。初エッセイ集『女の解体 Nagako’s self contradiction』(サイゾー)を2016年3月に上梓。

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