そして9月15日にリリースした自身初のフォトブックとなる『吉岡里帆コンセプトフォトブック 13notes#』(東京ニュース通信社)では、グラビア撮影について『お仕事を選り好みする立場になかったですし、何か結果を出さないと、という気持ちがあったんですけど、グラビアで評価されるほど、お芝居から離れていってしまうのではないか』不安だったと明かす。
2014年に初めて水着グラビアを撮影し雑誌に掲載された時、本人が撮影に際して恥ずかしすぎて泣いてしまっただけでなく、グラビアを見たご両親もショックで泣いてしまったという。女優として演技することとは別の(ように思える)水着グラビアの撮影に心細い思いをしていた彼女がマネジャーに相談すると、彼女の今後を見据えた上でのブッキングだと説得されたそうだ。やがて彼女は水着の写真を撮影する現場でも「せっかくやるならグラビアでも最高な作品を残そうというふうに意識を変えて」いき、「“最高のワンカット”を残すために何ができるか模索するというアプローチが、お芝居でもすごく生きている」という。
彼女が所蔵する芸能プロダクションのエーチーム及びエーチームグループにはグラドルを経て女優となった酒井若菜や、ヘアヌード写真集のリリース経験もある高岡早紀、THEグラドルのほしのあき、グラビアで人気を博した芹那などがいる。ビジュアルが、週刊誌やマンガ誌の男性読者に受けると判断されれば、まずグラビアから、というルートを辿ることが是とされているのだろう。
吉岡里帆もその流れにうまく乗った。「She is」でもまた『時間が経って、それがよかったと言ってくれる人がいるのは、やっぱりすごく嬉しい。今となっては、グラビアは本当にやってよかったです』と肯定的な発言を残している。
それでも彼女だけじゃなく、グラビアに登場する女性たちは本当は同じように理解しているのではないだろうか。肢体を消費され、旬の時間を分け与えることの消耗を。その引き裂かれるような感覚を、消費する側は知りもしないし、また知ってしまっては基本的に、無邪気に消費できない。辛い思いを抱えながら嫌々脱いでいる女にぐっとくるという性癖もあるわけだが、あくまでも、何も考えずに(傷つかずに)無防備に脱いで無意識な挑発をしている女性であってほしい、という願望がそこには投影されているのではないだろうか。
こうした本音を、「イメージ」をまとって仕事する女優が言葉にすることは珍しい。彼女自身もリスクだという認識はあるかもしれない。当たり障りない言葉しか提供しない女優は神秘的なイメージを纏うことができるが、しかし実像が見えずともすれば生身の人間であることを忘れられてしまう危険もある。お人形さんに徹して、発信することのない存在と認識されることもある。一昔前まではそういう女優が本当に多かった。たとえば黄金世代と呼ばれる1985年生まれの世代はまだ、人形系だ。だが吉岡里帆はそうではない。
『私の仕事は、自分というものを誰かに押しつけることではなく、誰かに「染まる」ことなんです。バラエティーだったら芸人さん色に染まるし、ミュージシャンと対談をするなら、その方の言葉をちゃんと聞いて、そこに沿った言葉を発したい』
と言うように、求められる仕事内容に濁りのない透明な状態で応じようとするけれど、彼女自身の中身は彼女の思考がパンパンに詰まっている。実際には他の多くの女優たちも、アイドルたちもそうであるはずだけれど、それを見せずに対メディア、対ファンでは100%透明でいる。どのようなイメージを与えられても構わないという顔をしている。とてもタフであるけれど、さすがに異常でもある。もちろんインタビューの現場では本音を話しているのに、編集の段階で削除されていく言葉たちもたくさんあるだろう。
だからこそ吉岡里帆が切り開いていく地平が、これからの女優にとって、ひいては若い世代の女の子にとってエールになり、「ちゃんと発言していいんだ」と自信を持つ契機になることも考えられる。飾らないとか等身大だとかの褒め言葉は、日常がズボラだのなんだのというカミングアウトではなく、こうした本音に与えられるべきなのだと思う。
(犬咲マコト)
1 2