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満島ひかりの乳首にパーツ以上の「価値」を与えてしまうこと

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 昨年7月に劇場公開した映画『海辺の生と死』のBlu-rayDVD27日にリリースされた。『海辺の生と死』は、満島ひかりが4年ぶりに単独主演した作品で、舞台は太平洋戦争末期の奄美群島・加計呂麻島。島尾ミホ・島尾敏雄夫妻をモデルにしており、作品名は島尾ミホの同名小説から。

 公開当時、「満島ひかりが乳首を出した!」と一部でひっそり話題にされていたが、今回のリリースで当該シーンのキャプチャ画像がweb上に出回り、よくあるヌード品評会が開催されている。彼女が裸になっているのは特攻艇隊長である恋人(永山絢斗)が出撃する前夜に、満島が裏庭の井戸で水浴びするシーン。確かに上半身がすべてあらわになるが、これをもって「抜ける/抜けない」とジャッジするバカさ加減である。

 一部をそのまま抜き出すとこのような調子だ。「ちょっと待て、まっ平らじゃねえか」「ぺったんこはともかく真っ黒じゃねえか」「乳輪小さいのに乳首はでかい、しかも色は濃い」「リアルでいいな」「新日本三大がっかりおっぱい」。自分の乳首はどうなのか、毛の本数でも数えとけ、と言いたくなる。

 そういう品評を規制しろ、なんて話ではないのだが(嘘を撒き散らすのでなければ好き勝手言う権利はある……侮辱する権利はといえば別だが)、とにかく疑問なのが、「乳首の価値」が異様に高く見積もられていることである。もはやテレビでは誰も(女性は)乳首を出さない・映さないのが慣例だが、映画では女優が脱ぐことがある。

 その結果、あらゆる映画のヌードシーンは、エロトピックスとして機能しているわけだが、やれサイズがどうだの形がどうだの乳首が黒いだの喧しいのは今にはじまったことではない。この映画は「満島ひかりが脱いでいてエロいから観に来てね!」という宣伝はしていなかったけれど、そんなの知ったこっちゃないのだ。

 CMに出演して高額のギャラを得ているような雲の上の人である女優が、広告でもテレビでも絶対に見せないプライベートな体のパーツを見せていることに「高い価値」を見出すのかもしれない。隠されているものは「エロいもの」とイコールで見られがちだ。

 しかし乳房も乳首もただのパーツであって、この映画のワンシーンにおいてそれ以上の意味を持っていない。少なくともセックスの快感を表現するシーンではない。にもかかわらず、ただそこにあるだけで「エロい」とされ、好みの色やサイズと比較されあれこれ品評を受ける、乳首の理不尽。

 水原希子がInstagramに乳首の突起がわかる洋服を着た写真を投稿したときも、散々「見せるな」「もっと見せろ」「汚い」「いやらしいことをするな」と様々なネガティブ意見が飛び交ったものだが、乳首には体の一部という以上の意味が付与されてしまっている。満島ひかりが脱いだのはむしろ、「乳首も含めただの体ですよ」と示すような、サラッとしたワンシーンだった。

(hin-nu)

海辺の生と死 Blu-ray