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二度とあの日に戻りたくない。産後クライシスの記憶

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Photo by Yu-ichi Arai from Flickr

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 本業が忙しくmessyではご無沙汰していたのだが、先日、カエターノさんから「クロスレビューやりませんか」とご提案いただき、『産後クライシス』(ポプラ新書)を手に取った。新書だし一時間程度で読めるだろうとページを繰ったところ、P36で早くも泣きそうになり、その後、読みながらボロボロ泣いた。泣ける新書、というわけではない。封印していた産後の記憶が蘇ってしんどかっただけだ。

 26歳の時に妊娠。27歳で産休、出産、育休。28歳で職場復帰。そして現在、30歳。子供は間もなく3歳の誕生日を迎える。

 正直言って、最初から「ちゃんとできる」気などしなかった。それでもなんとかなるだろうと楽観視していたし、なんとかしなければならないという義務感によって現在まで延命してきた。

 妊娠発覚時、まだ結婚していなかった。学校で受けた性教育では、妊娠は「してはいけないもの」だと教えられていたし、「避妊失敗」を意味するものだった(セックスの際は確実に避妊をしなければならない、と刷り込まれて、いざ「適齢期」になると産まねばならないと言われるのが不思議だ)。だから戸惑いが大きかったが、正直、(まさか自分の身にこんなイベントがあるなんて!)と、どこか他人事のようなドキドキもあった。その後、出産を選択したものの、今度は無事に産まれるのかという不安が常に胸中に渦巻くようになった。子宮の中で突然、呼吸を停止してしまうのではないか。先天性の疾患を抱えているかもしれない。妊娠発覚直前まで、飲酒も喫煙もしていた。

 産んだら産んだで(陣痛自体は強烈な痛みを伴ったが、出産の瞬間は巨大なうんこを出したようで快感も伴っていた)、「このか弱き命の火が、いつ消えてしまうとも知れない」という不安が頭から離れなくなった。入院中の病室でYUKIの「同じ手」という曲を聞いて、恐怖で眠れず泣いた。今思えば明らかに妊娠・出産でメンタルが不安定になっていたのだが、当時はとにかく不安しかなかった。子供をイチから育てる? 私が? できるのか?

育児is孤独

 生まれたての赤ん坊は小さく細くいかにも弱そうな生物で、この子を一体どうやって育てろというのか、ちっともわからなかった。眠っている間にふと呼吸が止まってしまうかもしれない。二歳を過ぎる頃まで、添い寝しつつも夜中に何度も目が覚めて寝息を確かめた。母乳で育てることができなかったため、SIDSも懸念していた。窓を開けると隙間から転落してしまいそうで怖かった。ラース・フォン・トリアー『アンチクライスト』冒頭のような事態が現実に起こるのではないか、といつも頭の片隅で考えていた。

 育児休暇の一年は、想像していた以上につらい日々だった。子供と一対一で日常生活を送ることが、どうしてこんなにしんどいのだろう。「普通のお母さん」は皆、当たり前のようにこうやって過ごしているのに、なぜ私はそれを苦痛と思うのだろう。妊娠してはいけなかったのではないか。出産すべきではなかったのではないか。子供への愛情の絶対量が、他者と比べて少ないのではないか。子供が可哀想なのではないか。常に葛藤があった。子供への興味関心が他の母親と比べて相対的に薄く母性に欠けるのではないか、とも感じていた。「母になることは女性にのみ与えられた歓び」という概念がまかり通っているが、その道徳観に背く意思が少しでも心中に芽吹けば「自分は人でなしではないか」と罪悪感に苛まれた。

 しかし戸惑っていたのは、母親ばかりではなかった。父親となった夫もまた、その状況に適応できずにいたように思う。夫の仕事は夜~朝方までかかることもしばしばで、早く帰宅できるとしても21時ぐらい、それが月に数回あるかないかという程度だった。早い時間に出勤する必要はない。その生活リズムは、「赤ちゃんにとって理想的な生活リズム」とはかけ離れていて、私を苛立たせた。そのうえ、子供が寝付いてもいつ起きてぐずりだすかわからず、夫と二人でテレビを見ていてもなんとなく落ち着かない。子供のことを話しても、育児に関心の薄そうな態度を感じてますます苛立つ。仕事で疲れていても優しくしてくれない妻と、言葉の通じない赤子の待つ家に帰る夫も当然、嫌な気分になるわけで、家庭環境は最悪。そもそも勝手気ままに生きてきた夫婦が「赤ちゃんにとって理想的」な状態を目指すこと、それ自体が相当なストレスだったのだと思う。

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ヒポポ照子

東京で働くお母さんのひとり。大きなカバを見るのが好きです。

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(009)産後クライシス (ポプラ新書)