まんこアートを作品として発表したくても、この日本ではなかなか受け入れてもらえません。
できたとしてもフェティッシュなイベント会場やサブカルなギャラリーに限られ、そこには必ずエロティックな雰囲気が漂います。
それを否定はしませんが、エロの世界だけにまんこを押し込めるのはちょっとつまらない。
わたしは子供でも楽しく閲覧できる健全なまんこアートをやりたいのです。
そろそろまんこも普通の美術館に置いてくれたっていいじゃない。
海外には真面目な美術作品として展示されている、すビラしいまんこ作品やアーティストがたくさんいるのだから。
しかし彼らの存在も、悲しいことに、やはりこの国ではロクに紹介もされず一部の知識人が知っているだけ……。
そこで、この「木曜まんこ美術館」では、世界中のまんこアートやまんこアーティストをご紹介していきたいと思います。
ただ紹介するだけでは英文の学術書を翻訳するのと変わらないので、
わたくしの脳内にアーティストご本人をお招きしてインタビューしたいと思います!
シリーズ第一回目は、やはりこの方!
まんこのお皿でパーティ会場を表現したジュディ・シカゴさん!
ジュディ・シカゴ
代表作「『The Dinner Party by Judy Chicago』1979年」
<39人の、歴史上の芸術家、女神、活動家である女性たちのまんこをお皿に描き、その食器を用いてディナーパーティ会場を表現した>
――ハロー、ジュディ!
(ろくでなし子の脳内ジュディ・シカゴ(以下J)ハァイ、なし子! 今日はお招きありがとう。
――まんこアーティスト大先輩のジュディさんにお会いできて嬉しいです!
(J)ありがとう。なし子もまんこを作品にしているのね。わたしがまんこアートを始めてから50年が経つけれど、日本ではいまだにあの頃のアメリカと変わらないのかも? そんな中、あなたの活動はハードだけど、頑張ってほしい。
――ジュディ先輩にそう言っていただけて光栄です!
わたくし情けないことに、ジュディ先輩の作品をナマで観たことが一度もありません。
NYのブルックリン美術館に常設されている「ディナー・パーティ」は死ぬまでにまんこ持ちとしては必ず観に行きたいです!
それにしても、ジュディ先輩はこんなに偉大なアーティストなのに、日本では作品写真集も翻訳本がなく、とても残念です。
(J)日本では女性が「まんこ」と言ってはならない文化なんでしょう。ファッキンクレイジーだわ。
――女の体の一部なのに、汚いもの扱いですから。言ってもいいけどなぜか「恥じらい」が求められます。ほんとめんどくさい。
(J)わかるわ。わたしもアーティストになりたくて入った美術カレッジで、同級生の男たちから一段低く見られたり、「女はアーティストにはなれない」というおかしなムードに気づいた時はショックだった。50年前はアメリカでもそんな感じだったのよ。
――それで先輩は、最初は女性的なものを一切排除した作品ばかり作ってたんですよね?
(J)「男に認められないとダメだ」ってその時は思っていたの。美術教師も男をひいきしたし、課題で女の乳やまんこをリアルに表現すると教師が怒って試験もパスできない。
仕方なく表現方法を変えたりしてね。
行動も、わざとタバコを吸ったりオートバイに乗り男っぽく振る舞ったし、
電動のこぎりのような危ない作業も積極的に学んでタフな自分をアピールしたわ。
そんな名誉男性だったわたしをクラスの男たちも一目置いてくれて、正直いい気分だった。
他の女子学生たちのことをバカにして「割れ目ちゃん」と呼ぶ彼らの会話に混ざって、わたしも彼女たちを低く見て、自分は女だけど特別な存在だと思っていたの。
――「割れ目ちゃん」呼ばわりひでー! 先輩の黒歴史ですね(笑)
でも女的なものをバカにしていた状況から、作品のモチーフが突然、最も女性的で過激な「まんこ」に変わったのはとてもユニークですね。
(J)大切な父の死と最初の夫ジェリーが交通事故で亡くなって、真の孤独を思い知ったのがターニングポイントね。
――ジュディ先輩が、お父様をどれだけ敬愛されていたかは先輩の自伝本で拝読しました。
お父様が亡くなられたことをずっと苦しんできたそうですね。そして、ジュリーさんの死も、たまたま大喧嘩した後だったという……相当お辛かったのでは。
(J)ジェリーも、父も、わたしの誇りだったわ。特に、父は人を性や肌の色で差別しないリベラルな人で、みんなから好かれていた。
でも父は良いことを訴えていたのに、当時の「赤狩り」にあって仕事を失い、晩年は不幸で病死してしまった。そしてわたしは父を今ほど理解していなかった。
父の死をずっと受け入れられないまま、夫だったジェリーの死をも経験したわたしは1年半くらい自分を責め続けて、ある日気づいたの。
私は永遠にひとりなんだ、愛する人がいても、いつでも失いうる、
私がこの世で所有できるただひとつのものは、私自身だわ、ってね。
――孤独は辛いけど、自分を本気で見つめるきっかけになりますよね。
わたしもまんこアートを本格的にやりだしたのは離婚後だったので、なんかわかります。
(J)そうそう。そうして自分を見つめていった結果、今まで切り捨ててきた「女性的なもの」こそ、私には大事なんだ! とわかったの。
それから第二の夫・ロイドとのセックスについて考えたことも大きかった。若い頃は、「女とはうぶであるべき」という価値観が強かったから、ロイドのセックスにも不満を感じても、言いたいことを言えなかった。
女は優しくあるべきで、言いたいことをはっきり言う女は男を「去勢して」しまう、そんな恐怖がずっとあったから。
だけどわたしもロイドも何度もぶつかりあって、ついに克服できた。
その経験をもとに、作品に女である私自身の性をどんどん打ち出すようになったのだけど、
アーティストとして名声を得ても、まだわたしを低く扱う男たちが多くて傷ついたわ。
同じまんこ持ちの女性からも蔑まれたり。
芸術家に女性が驚くほど少なかったことも、絶対おかしいと感じた。
――そういえば、今でこそ女性アーティストは一般的ですが、歴史上の有名な芸術家はほとんど男性ですよね。
昔は芸術をする女がいなかったのではなくて、やりたくても女は芸術家としては認められなかった……。
(次ページへ続く)
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