妊娠中のエイコと夫のセックスは、擬人化されたリボンのキャラクターを通して描かれます。漫画ならではの画期的な手法! p.21には、正座した裸のエイコが描かれています。エイコはセックス後で素っ裸であるにも関わらず、眼鏡・寝癖・おかっぱ頭は健在なところが可笑しい。リボンちゃんも、エイコの隣でちょこんと品よく正座で座っている姿が大変に愛らしく、読者の感情移入を容易にしてくれます(妊娠中のセックスがどう気持ちいいのかは本書をお読みになってください)。
「イイ男がいたらその人の子を産む」という考えも、私は良いと思います。今の日本が少子化となったのも、現行の制度が結婚と出産を結びつけているということが原因のひとつでしょう? 婚外子に対する法的な差別をなくせば、日本の少子化は解消するような気もするのですが、いかがでしょうか。
けれど、このような考えは、男性社会の日本において受け入れられないものかもしれません。20章には、エイコが昔の職場の飲み会に参加する様子が描かれます。その席の男性陣は全員子持ちであるにも関わらず「うんちのついたおむつは変えない」、「寝かしつけなんてこないだ初めてやった」、「ハマってる風俗がある」などの発言でエイコをイラつかせます。
「やっぱ女の人にはかなわないよなァ/男にはおっぱいがないからな」と、体のパーツである胸のみが女性の全体像であるかのように語っておきながら、「私出産して大陰唇がビロビロになっちゃったのね」と、おっぱい以外の体のパーツに関して語るエイコに対しては、「ビッチだービッチがいるー」と暴言を吐く男性陣。「何がビッチだ! お前の奥さんも、お前の母親も、出産したら大陰唇ビロビロになるんだよ!」と言ってやりたいです。
このシーンで描かれているような、男性の「母性」に対する思い込みの身勝手さには、女性なら誰しも触れたことがあると思います。その思い込みに付き合ってあげられる心の広い女性のみが、結婚・出産をサバイブできるのが、日本の現状なのではないかという気がしています。
“ロボットジジイ”の量産
しかし、本書では、そんな男性の思い込みに付き合ってしまった女性たちが作り出してしまったモンスターとして、ロボットジジイが紹介されています。ロボットジジイとは、60代後半~70代くらいの男性で、みんなが協力し、譲り合って乗っているエレベーターに順番を無視して乗り込み、ベビーカーを押している人が挟まったとしても何もしないジイさんのこと。しかし「閉」ボタンは素早く押し、「2階(のボタンを押せ)!」と赤ん坊を抱っこしている女性にも他人なのに偉そうに指示をする……定年後、電池が切れたロボットのように公共の場をス~っと音もなく歩いていることから田房さんが命名されました。
田房さんは、こういうジジイが量産される背景として、妻たちが「期待しないでうまくあしらって、ムード作ってあげて、種だけもらって/そうやって人間扱いされなかった夫たちがロボットジジイ化するのでは……?(p.107)」と述べています。「イイ男がいたらその人の子を産む」という主人公・エイコの考えは、一見突拍子もないように聞こえますが、「日本の少子化を解消する」という点だけでなく「今後ロボットジジイを量産しない」という目的でも有効な方法のように思えてきます。
ラストシーンで、飲み会を終えたエイコは「ちくしょう」と叫びながら、走ってあるところに向かいます。さて、彼女が向かった先は……? そして、その先でエイコが導き出した「母性」の実態とは……? ぜひ、『ママだって、人間!』を手にとってエイコの妊娠・出産・育児の行く末、お確かめください。『ママだって、人間!』は、ひとりの女性の妊娠・出産・育児を通して、日本社会全体に関する優れた考察を提供してくれる一冊です。
■大和彩/大学卒業後、メーカーなどに勤務するも、会社の倒産、契約終了、リストラなどで次々と職を失う。正社員、契約社員、派遣社員など、あらゆる就業形態で働いた経験あり。
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