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どんなに困難でも、母親が無理やり育児に立ち向かわされる日本社会

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 『子育て支援の社会学』(松木洋人著・新泉社)は、現代社会における子育て支援を社会学的な側面から分析している書籍だ。先に述べたように変化してきた家族と地域の形と、それに応じた子育て支援サービスの詳細、またそこで働くスタッフらがどういう思いを抱いているかについてもインタビューが掲載されている。このスタッフらのインタビューにおいて、彼らが子育て支援に関わる事で「子どもが家族のなかの一員として充分に位置づけられることを脅かすのではないか」と感じていたり、「『子どもは家族によってケアを提供されるべき』という家族責任についての理想と『子どもが家族によっては充分にケアを提供されていない』という現実との間でジレンマを抱えて」いたりするというのである。

 また別のスタッフは「『誰だってできるよ、誰が変わっても』って仕事の為に、こんな長い時間働いて、子どもが寂しい思いしてるみたいな生き方は好きじゃない」と母親が職業を制限すべきであるという信念を持っていたりもする。主に母親を支える子育て支援サービスに従事する者たち自身がそれぞれ、家族や母親のあるべき姿を持っており、葛藤を抱えていた。

 保育サービス事業の調査によると、母親が仕事など“やむを得ない用事”ではなく、リフレッシュなど自分の時間を持つために子供を預けることへの抵抗感が受け入れ側にあるという調査結果もある。子育て支援サービスに従事する者すらそうした思いを抱いているのであるから、そうでない立場の大多数の日本人が持つそうした抵抗感はかなり根強いのではないだろうか。母親は子供のために仕事を制限し、リフレッシュのための時間も取らず、常に子どもと向き合うべきだという考えが強く日本に定着しているのである。

母親個人の問題に帰結させてはならない

 2005年度の「国民生活白書」には、子育て世代の子育てに対する不安や負担感が出生率の低下をもたらしており、子育て世代に対する支援が必要であると論じられている。そしてその結びでは「子育てが家族の責任だけで行われるのではなく、社会全体によって取り組む『子育ての社会化』が重要である」と結論付けている。少子化は進み、家族や地域の形も変わった昨今、「子育ての社会化」が急務であると国も認識しているものの、戦後から続く“子育ては家族が”もしくは“子育ては主に母親が”担うべきであるという価値観が浸透していることにより、それを妨げているようにもみえるし、子育て支援サービスの主な利用者である母親を心理的にも物理的にも苦しめる。

 2007年の「宇都宮大学生涯学習教育研究センター研究報告」内の論文「子育て支援のあり方に関する一考察」には、こうした“子育ては主に母親が”という認識がいつ生まれたのかということが詳しく記載されている。江戸時代末期までは子育ては家族や地域の共同体が担うという意識が強かったが、昭和30年代になると政府が国家の近代化のための人口増加のみならず、質的向上を意図して母親の教育力に注目する。清潔で衛生的な出産によって産まれた無垢な子どもを、母性愛を持って慈しむ子育てを理想モデルとして掲げたのである。これは高度経済成長期に定着する。1970年代半ばには専業主婦率が最高となり、「女は結婚するものだ」「結婚したら、子供を産むものだ」 そうしたら「家のことに専業になるものだ」 との規範意識が高まっていったのだという。

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