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どんなに困難でも、母親が無理やり育児に立ち向かわされる日本社会

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 「平成23年版厚生労働白書 本編図表バックデータ」内にある「専業主婦世帯と共働き世帯の推移」をみれば、専業主婦のいる世帯の数は年々減少しており、1992年には共働き世帯数が逆転している。高度経済成長期に定着した“子育ては主に母親が”担うべきという価値観は残ったままでありながら、状況は当時と大きく変わっているのであるから、ひずみが生じて当然である。実際の母親は仕事を持っていることが多くなり、“主に母親が”担うにしても容量オーバーとなっているのである。加えて当時のような三世帯同居も減少したのであるから、母親の負担はより重くなる。

 冒頭に挙げたローキック動画騒動については、子供を蹴っていた女性もこうなる前に家族や友人、自治体に相談するなど、本来ならばできることはたくさんあっただろう。だがそういうことができない状況もある。誰もが母親になったからといっていきなり円滑な人間関係を築けるわけではない。

 殺人シッター事件については、女性が働いて子供を育てることの困難さが浮き彫りとなった。この女性はシングルマザーであり、3人家族で生活していくために働く必要があったにも関わらず、仕事を選ばず働くための子育て支援サービスは不足している(2010年のシングルマザー数は108.2万人で、2000年の86.3万人から増加の傾向にある)。

 “子育ては主に母親が”担うべきである、または担って当然であるという価値観が根強く残っていることは、母親である女性を孤独にし、たとえ本人がそれに困難を感じていたとしても無理矢理立ち向かわされ、ひずみを生む。しかも、それが事件となって明るみに出てもまだ、社会全体の問題としてではなく、母親個人の問題として取り沙汰されてしまう。「育てられないなら産むな」「迂闊にセックスするな」という暴論も蔓延っているが、であれば少子化対策なんてバカバカしい空論は放り投げればいいだろう。人々は「良き父・母になれる男女」のみが家族を築ける排他的な選民社会を望んでいるのだろうか?

 そろそろ、世の母親を苦しめているのは、子育ては主に母親が担うものである、という価値観の押しつけであるということを行政をはじめとした社会全体が認識するべきだ。また母親である女性も、その価値観に押しつぶされることなく、自身の思いを周囲に理解してもらうべく声をあげるべきなのではないだろうか。
(鼻咲ゆうみ)

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