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誰もが逃れられぬ「肉体」を見つめる~ホドロフスキーとダガタとジョーンズに見る、現実と虚構考

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彼女は何をしている途中でしょう?(イラスト/別珍嘆)

彼女は何をしている途中でしょう?(イラスト/別珍嘆)

真夏の白昼夢

 人通りの少ない道を歩いている時、雲一つない青空を、嘘を眺めるような気分で見上げる時、目前の光景は現実のものではないと考えることがある。

 人前に出る時はきっぱりと言動する私も、普段、一人でいる時はそこはかとなくぼんやりしていることがある。私は私の、あるいは誰かの、夢の中で生きているのではないか。自分の四十年間の人生は、まるごと白昼夢だったのではないかと夢想して、不安とも開放ともつかない、不可思議な気分に陥るのだ。

 浅川マキは1980年にリリースした『都会に雨が降る頃』で、『すっかり目の見えない私は、死んだ男の夢の中で眠る』という歌詞を描いた。なんという情感だろうか。現実感を喪失する私の目も、ある種の盲目状態にあり、最愛の父や若くして死んでいった友人たちの夢の中で眠り、夢のまた夢を見ているのかもしれない。

 そこは、喜びも哀しみもなく、怒りも恐れもない、穏やかな世界だ。何もかもが無で、私はただひたすらに存在するのみだ。そうした喪失感に甘えるような心情に陥りがちな晴天の夏の日中時、そこかしこに立ち現れる現象や風景を白昼夢視しては、「現実とは何か」について想像する。

 そんな時に限って、現実・非現実の境界を思わずにはいられない映画や絵画、写真といった創作表現に出会うのは、引き寄せの法則の効力だろうか。今回は、ほぼ同時に鑑賞したことによってますます現実感を喪失するに至った作品について、記してみたい。

ホドロフスキーの夢

 まずは、アレハンドロ・ホドロフスキーの未完の大作映画『DUNE』について、本人や創作に関わったメンバーにインタビューを行ったドキュメンタリー映画『ホドロフスキーのDUNE』(UP LINK)。

 私はそもそも荒唐無稽で自由闊達なホドロフスキーの映像表現のファンなので、メビウスやギーガー、ピンクフロイドといった時代の寵児たちを巻き込みながらも、ついに実現することのなかった幻の大作の創作過程に興味があった。

 本業が映像ライターであるため、興行としての映画の在り方、創作に携わるスタッフの情熱、信頼、技術、スケッチやストーリーボードの数々、純真無垢な子供のようなホドロフスキー監督のネゴシエーション術といった制作にまつわるエピソードを知り、大いに感銘を受けた。

 「映画は、インダストリー(産業・製造業)ではなく、芸術であり、表現だ」と断言する彼の言葉にも共感を覚える。日本での映像制作は、PCやコンシューマ機器での制作およびグローバルネットワークを介した公開の土壌が整った現在、一時期よりも表現の自由を追及できる体制にある。しかし、既存の映画興行や広告映像等の商用映像は、当然ながら作者の自由のみを許容するものではない。

 多くの映像作家が、出資者やクライアントの希望と事情を重んじる産業で稼ぎ、自由な創作表現はそれ以外の場所でインディペンデントに行うという棲み分けを選択する。一方、現在八十五歳のホドロフスキーは、1967年に初の長編映画『ファンドとリス』を発表して以降、二十三年ぶりに公開された新作映画『リアリティーのダンス』に至るまで、映画の舞台での自己表現をやめない。

 本作では、老いて尚盛んとばかりに瞳を輝かせ、創作意欲をますます高めるホドロフスキーの、バイタリティー溢れる姿勢が伺える。芸術活動は彼の人生そのものである。命に追随する自由な発想が産業の枠組みに組み敷かれることはない。

 PARCO GALLERY Xにて併設されている展覧会のタイトルは『芸術に許可が必要だと?』である。「不要」と主張する彼の映画は世界各国で人気を博し、コアなカルトムービーファンに限らず、多くの人々を魅了した。『リアリティーのダンス』は昨年のカンヌ映画祭でワールドプレミアム上映され、拍手喝采をもって祝福された。

 『DUNE』に携わったスタッフが、またイマジネーションを刺激された多くの表現者たちが、その意志を引き継ぎ、『スターウォーズ』を筆頭としたSF映画の至るところに『DUNE』への敬愛を反映させた。彼が情熱と人生をそそいだ未完の大作への夢は、多くの人々の手によって現実のものとなった。

 彼の映画は、まさしく白昼夢と呼びたくなるほど荒唐無稽だが、それは虚構ではなく、彼のリアルだ。『DUNE』そのものは見えないが、そこかしこに在る。無形の夢という現実を多くの人々が共有し、受け止めた人々の人生の舞台で現実として顕現する。

 現実は非現実的な夢や虚構のイマジネーションと相反するものではない。夢やイマジネーションは、これまで見たことのない新しい現実の光景を見せてくれるバージョンアップの種である。

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林永子

1974年、東京都新宿区生まれ。武蔵野美術大学映像学科卒業後、映像制作会社に勤務。日本のMV監督の上映展プロデュースを経て、MVライターとして独立。以降、サロンイベント『スナック永子』主宰、映像作品の上映展、執筆、ストリーミングサイトの設立等を手がける。現在はコラムニストとしても活動中。初エッセイ集『女の解体 Nagako’s self contradiction』(サイゾー)を2016年3月に上梓。