共通点と相違点を鮮やかに見出していく
そんな感じで始まったこの対談。「俺は審判じゃない、単なる対談の構成ライターだ」と自分を落ち着かせ、「どうか揉めないで!」と祈るような気持ちで二人の話に耳を傾けていたわけですが……次第にそんな気持ちはすっかり消え、あることに心が囚われ始めていきました。
「この人たち、自分自身について徹底的に言語化しているな……」
とにかく驚かされたのがそこです。もうね、ちょっと怖いくらいに言語化している。例えば永子さんは対談の冒頭で「何で結婚したいの?」という質問を投げかけのですが、はあちゅうさんは「母親が専業主婦なこともあって、女の子とは大人になったら結婚をして家庭に入るもんだっていうのが当たり前だと思って育ったので」とすかさず答えるわけです。
もっとも、これは女性からしたら「何がすごいの?」って話だと思います。結婚願望について聞かれて、自分の来歴を参照しながら意見を述べる。「それって別に普通のことじゃない?」と、多くの女性は思うかもしれません。
しかし……ほとんどの男は、こういったことができない。つまり、自分の願望や欲望、瞬間的な感情から人生の来歴に至るまで、女性に比べて悲しいほど言語化できていないのが我々「男」ではないか。この対談を聞きながら最も強く感じたのは、そのことです。
「それで言うと私は」と、はあちゅうさんの話を受けて永子さんは答えます。私の母親も専業主婦だった。しかし、父親の言いなりになるだけのその姿を、私は反面教師にしてしまった。だから結婚願望がまったく育たなかった。
ひとつの話題を軸に、「こことここは私たち同じね」「でもここから先で考え方が別れるのね」と、鮮やかに共通点と相違点を見出していく二人のガールズトーク。何というか、高度に洗練されたスポーツを見ているかのようでした。
おそらく、自分を徹底的に言語化している二人だからこそ、互いの言葉を高解像度で比較することができるのでしょう。これが他者への共感能力であり、他者への想像力というものなのではないか……。そう考えると、それが欠如している男というのは、つまるところ自分を言語化できていないところに原因があるような気がしました。