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「フェミ」とは女が男を怒る思想ではないですよ

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 世の中が男性中心的な価値観によって構築されている現状においては、おおむね「男女の対立」という図式で正しいのかもしれません。ただし、「女に嫌われるフェミニスト」が存在する時点で、性別間の対立という単純な図式は崩れているのです。フェミニズムへの無理解は女性の間にも存在していると言えるでしょう。

わたしのからだは、誰のもの?

 フェミニストたちが抗議している物事が様々な分野に渡っていることも、もしかしたら、その無理解の要因のひとつなのかもしれません。前述の「女性器3Dデータ事件」にしても「女性へのピル強要」にしても、表面的にはまったく異なっているのですから。これが「フェミは自分が気に食わないものならなんにでも噛み付く」というような印象を生んでいるのだとしたら、やはり無理解を端的に示しているのだと思います。

 フェミニストたちがなぜ・なにに怒っているのかを理解するためには「《わたし》の身体は、誰のものなのか?」という問いからはじめるのが適切です。《わたし》の身体は、男女を問わず、その人個人のものに間違いありません(意識と身体は分ちがたく結ばれているため、身体を所有物扱いする物言いには、若干の違和感がありますが)。しかしながら、女性の場合、その原則が破られ、その破られた状態が平常化していることがある。それこそ、フェミニストたちの抗議の源泉なのです。

フェミの問題意識とその歴史

 「自分の股ぐらについている、ヒダヒダがついた器官」のデータが、猥せつなものと見なされること。自分がピルを飲むかどうかは自分で決めたいのに「生でしたい男の欲望」によって強要されること。これらが「《わたし》の身体は、《わたし》のものである」という原則から外れることは、言うまでもありません。

 また、少し古い事例ではありますが、かつて自民党所属の厚生労働大臣が女性を「産む機械」と発言したことなども深刻な例です。出産するかしないかは、最終的には女性に決定権があるべきでしょう。しかし、人口問題との兼ね合いから「女性は産まなければならない」と語られたとき、機械とみなされた女性の身体は、社会的な所有物のようになってしまいます。

 フェミニズム・ジェンダー史の研究者、荻野美穂による『女のからだ: フェミニズム以後』(岩波書店)は、こうしたフェミニストの問題意識を理解するのに役立つ良書です。というか、本書に描かれた、中絶の是非や富士見産婦人科病院事件(病院経営のために健康な女性の子宮や卵巣の摘出手術を繰り返されていた医療事件。医師資格のない理事長による無資格診療などもおこなわれていた)などをめぐる「女の身体を女の手に取り戻す」闘争の歴史を読むことで「なぜ、彼女たちは怒らなくてはいけないのか」が腑に落ちるでしょう。

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カエターノ・武野・コインブラ

80年代生まれ。福島県出身のライター。

@CaetanoTCoimbra