恋愛市場での価値にこだわらない
指原莉乃の「私はブスだから」という発言が、「当人が猛烈に苦しんでいる悩み」としてではなく、「コミュニケーションを円滑にするための自虐」として受容されていることも極めて重要である。
中村うさぎは著書『「イタい女」の作られ方——自意識過剰の姥皮地獄』(2009/集英社)において、「姥皮」(※うばかわ:民話での想像上の衣。身に付けると老女の姿になるが、脱げば若い美女の姿に戻る)について論じている。いわく、「姥皮」とは、多くの女にとって、ナルシズムを隠し横並び地獄の女社会をサヴァイブする為に必要とせざるを得ないもの。恋愛市場的な価値こそが女のすべてといった価値観に支配された女社会における重要なアイテムであり、〈勝ってないフリ〉を装うことで〈敵を作らない〉ための処世術である、と述べている。
しかし、2009年に中村が【女が女社会を生き抜くためのアイテム】だとした「姥皮」は、2014年現在、女が男社会を生き抜くためのアイテムという意味合いの方が強くなったのではなかろうか。
この変化にはいくつかの理由がある。たとえばジェンダースタディーズへのバックラッシュによる「保守強制異性愛主義」、「恋愛市場的な価値こそが女のすべてといった価値観による支配」の強化。ネット等では「ブスババアマンコだまれ死ね」というようなヘイトスピーチが一定の市民権を得てしまっている現状。一方で、ジェンダースタディーズに根ざした優れた作品(ほんの一例をあげれば『SATC』や、よしながふみなどの漫画作品、メディアを問わず素晴らしい作品を挙げたらきりがありません!!)を消費した世代の台頭により、「姥皮」を被らなくても生きやすい女社会を目指す者が増えたことがあげられるだろう。
ここ数年で、女同士のコミュニケーションにおいては、「恋愛市場でのバリューこそが女のすべてといった価値観に支配されなくても良い」という見解が強まっている。つまり、不毛な衝突や消耗を避けるアイテムだった「姥皮・自虐」は、今や女同士のコミュニケーションよりも、女を恋愛市場的な価値の高低で縛り付けようとする「男」側に媚びるためという用途が強まったと言えはしないだろうか。
そうであるとすれば、ミソジニー(女性憎悪や女性の自己嫌悪)やヘイトスピーチが一定の市民権を得てしまっている層のファンを抱えた女性アイドルは大変だ。
ひょっとしたら指原莉乃は、こうしたヘイトスピーチをやり過ごすために「姥皮」を被り自虐せざるを得ないのかもしれない。
女性アイドルたちが一部のファンのために「姥皮」を被っている一方で、今年の映画界で記録的大ヒットをした『アナと雪の女王』や、『マレフィセント』『思い出のマーニー』といった「男が消費出来ない女同士の友(愛)情」の物語が、多くの人に求められていることも事実だ。
そこには、「男に求められる若く美しく無知な女こそが幸せである」という価値観への異議申し立てと、「男の所有物になるよりも、女同士で楽しく有益なコミュニティーを作りたい」という欲望がある。
これを「男性が女性アイドルを消費できなくなる」と懸念する向きも業界にはあるだろうが、見方を変えれば、女性アイドルにとってはさらなるファン獲得のチャンスである。
女性アイドルたちが「黙れブス」という恫喝に怯え屈しなくても良くなれば、彼女たちは旧来的価値観に縛られて媚びることなく、新たなファン層へ向かって行ける。結果的に、閉塞的なアイドル産業の現況を打破し、市場を開拓することにつながるのではないだろうか。
■ 柴田英里(しばた・えり)/ 現代美術作家、文筆家。彫刻史において蔑ろにされてきた装飾性と、彫刻身体の攪乱と拡張をメインテーマに活動しています。Book Newsサイトにて『ケンタッキー•フランケンシュタイン博士の戦闘美少女研究室』を不定期で連載中。好きな肉は牛と馬、好きなエナジードリンクはオロナミンCとレッドブルです。Twitterアカウント@erishibata