もしかしたら偉い人たちは「チミね、違うんだよね。金とか権力を持ったら、人は変わってしまうんだよ」と言うかもしれません(イメージ映像:故・金丸信が葉巻をくゆらせながらホテルのバーカウンターで語っている)。でも、いくら金や権力を持った自分を想像しても、たくさんの部下を統率して会社を牽引する立場となれば、その重責やプレッシャーによって疲れきっている姿しか見えません。下半身が元気な偉い人たちは、自分のような小市民とは最初から精神構造が違っていて、偉くなったから下半身が元気なのではなく、下半身が元気だからこそ偉くなったのでは……とさえ思えてきます。元気が先か、下半身が先か。
愛人を持たない女はダサい、という社会もある
スキャンダルの渦中にいる当人はお気の毒です。経営者であれば当然、進退を問われる事態になるでしょうし、その会社のサービス・センターには苦情が殺到したり、末端のいち社員でも仕事がしにくくなることが予想されます。「お前のところの社長は、あんな人間だったのか! そんな会社の商品はもう二度と買わない! こないだ買った商品も返品する! なに? クーリングオフ期間が過ぎたから返品できない? 消費者センターに電話してやる!!」……会社に寄せられる苦情がリアルに想像でき、その電話を受けるコールセンターの方(基本的にアルバイト)もあわせてかわいそうです。
それにしても、どうして下半身スキャンダルは、世間的に悪いことのように扱われるのでしょうか? たとえば今回の週刊誌記事。不倫が悪である、という認識は現在日本社会においては自明のことかもしれません。けれど、個人的には、スキャンダラスな絶倫社長の精力を驚きこそしたものの、非難に値するポイントはよくわかりませんでした。不倫にしても愛人を囲うことにしても、現行法上では刑事犯罪として裁きを受けるものではありませんよね。かつて「不倫は文化」という、今なおその真意がよくわからない発言をした方(三度目の結婚中)もいらっしゃいますが、彼のように「別に法律を破っているわけではないから、問題ないだろ。ていうか世間には関係ねえし」と開き直ることも可能です。企業経営者だからといって、プライベートな場面での性癖も潔白である必要はないのでは(ハプニング・バーで自分のセックスを見せていたら、公然猥せつで逮捕される可能性はありますが……)。
社会に存在する共通認識と、個人的見識とのギャップにふと気付いた瞬間、「社会の内側にいた自分」と「自分の思考」との間に距離が生まれ、社会学的な考察に至りやすいと聞いたことがあります。それまで自明と思っていた常識を客観視してみると、自分が住んでいる社会が突然、奇妙なものに見えてくるのです。