実験したくなる「だし」の世界
偏愛がすぎて、例によって長くなったので、今一度話を「根拠」に戻したい。漫画や書籍、レシピやネット情報と限定せずとも、すでに多くの人に知られている、昆布と鰹節でとる「だし」について。
『美味しんぼ』によると、鰹節は、まずカツオを煮てから焙煎にかける。固くなった荒節を天日に干して余計な水分を抜いた状態でカビ付けを行い、蛋白質をアミノ酸に分解させる。昆布は砂浜に広げて干す。充分に熟成し、蛋白質がグルタミン酸に分解するのを待つために、二、三年かかるものもある。
鰹節には核酸系のイノシン酸が、昆布にはアミノ酸系のグルタミン酸が含まれている。干し椎茸は核酸系のグアニル酸を含有。それぞれのうま味成分は単体よりも、混合した方がうま味が増す。これらと塩や醤油の成分をうまく調合すると、おいしいだしができあがる。
ちなみに醤油はグルタミン酸が豊富であり、イノシン酸との相性が良い。一般的には、西洋はイノシン酸の食文化、東洋はグルタミン酸の食文化と言われているようだ。
ラーメンのスープも、基本はこのグルタミン酸とイノシン酸の相乗効果によってできている。『凄腕麺師のラーメン放浪記』(日本文芸社)によると、『鶏や昆布でとるだしにはグルタミン酸が多く、豚骨や鰹節はイノシン酸が多い。これを10対1の割合で合わせると、それぞれを単独で使う時より約5倍の強さになる』。
この基本に加えて、動物系、魚介系、野菜、キノコ、果物、魚介、発酵食品などを投入し、スープとタレのバランスを整えていく。動物系と魚介系のダブルスープはすでに定番化しているが、昨今は野菜系のだしも流行中だ。昨年は昆布に負けないグルタミン酸の宝庫であるトマトをベースに使うラーメンがたくさん登場した印象がある。
タレや具材にもそれぞれのうま味がある。組み合わせのバリエーションは無限大であり、イノベーションの速度もめまぐるしい。その状況については、『ラーメン発見伝』ならびにその続編である『ラーメン才遊記』(小学館)が、ぶっちぎりの情報量を有する。
主人公の務める会社では自然食品のチェーン店を展開。そこでは、『醤油ラーメン(牛骨&鶏がらのスープ+大地魚の煮干しスープ)』、『味噌ラーメン(トンコツ清湯スープ+煮干しのスープ)』、『トンコツラーメン(トンコツ白湯スープ+アゴだしのスープ)』、『塩ラーメン(牛骨&鶏がらのスープ+トンコツ清湯スープ+アゴだしのスープ+リンゴの木のチップスでスモークして香り付けした塩)を提供。
上記の掛け合わせだけでもバリエーション豊富で混乱するが、他店のラーメン店での事情や料理漫画の醍醐味である白熱バトルも加え、ラーメンの無限の可能性を紹介。読んでいるうちに、自分好みのラーメンを作る実験を行いたくなってくる。しかし、中華麺の世界もまた奥深く、小麦粉のでんぷん質の分解法、加水率、熟成期間、茹でる時の温度や湯量、麺の切り方など、考えなければならないことが多すぎて目眩いがする。
改めて考えてみれば、日本のラーメンの値段は1杯千円弱とあり、高額だと言われることもあるが、真面目なお店は実験と検証と研究を繰り返してそこにたどり着いたわけだから、有り難く頂戴しなければ罰が当たる。おそらく、趣味で、一人で作ってみたところで、余裕で5万円くらいかかる。結果、気に入るものができる保証もない。粛々と千円札を差し出し、おいしいラーメンをいただこうと思う。
食品加工工場をもつ企業も、化学・物理学的根拠や効率、衛生面を考慮した機械を、莫大な資金を投入して作成・管理してくれているおかげで、安価で食品が手に入る。気持ちを新たに感謝すると同時に、でも、ずるいやつもいっぱいいるし、何より実験、楽しそうだから、やっぱり自分で作ってみたいとも考えながら、料理漫画のレシピを実際に「作ってみた」レポートサイトを羨ましげに眺める、食欲の秋だ。
■林 永子(はやし・ながこ)/1974年、東京都新宿区生まれ。武蔵野美術大学映像学科卒業後、MVを中心とした映像カルチャーを支援するべく執筆活動やイベントプロデュースを開始。現在はライター、コラムニスト、イベントオーガナイザー、司会として活動中。