
(C)柴田英里
ここ10年、日本国内でのマタニティ・ヌードやマタニティ・フォトの認知はぐっと高まった。一般化とまでは言わないまでも、多くの芸能人が披露し、それに憧れる一般人にも浸透しつつある。
マタニティ・ヌード、マタニティ・フォトの元祖は、1991年、米ファッション誌『ヴァニティ・フェアー』8月号の表紙としてアニー・リーボヴィッツが臨月のデミ・ムーアを撮影したものだ。この表紙は雑誌発売とともに、「猥褻か芸術か? 母性の賛美か?」という物議を呼び、一大センセーションを巻き起こした。
「猥褻か芸術か?」という問題に関しては、messyでもおなじみのろくでなし子氏の逮捕や、愛知県美術館『これからの写真展』における鷹野隆大作品への警察の勧告など、最近話題になっている。
今回は、マタニティ・ヌード、マタニティ・フォトにおける「猥褻か芸術か?」問題は一旦保留にし(「猥褻か芸術か?」問題に関しては、10月5日東京芸術大学北千住キャンパスで行われるろくでなし子氏を招いてのシンポジウム「表現規制と自由—ろくでなし子逮捕事件、そして、身体表現のポリティクス」に登壇する予定なので、それ以後改めて考えたい)、マタニティ・ヌード、マタニティ・フォトが孕むポリティクス(政治性)について考えてみようと思う。
母性賛美のイデオロギー
アニー・リーボヴィッツが撮った臨月のデミ・ムーアのヌードが、若さ・痩身・メリハリある整ったプロポーションを美しいと捉える西洋的な女性の美的判断基準に大きな衝撃を与えたことは間違いない。
以後、現在までアメリカでは、ミラ・ジョボビッチ、クリスティーナ・アギレラ、マライア・キャリー、ジェシカ・シンプソン、ブリトニー・スピアーズ、ミランダ・カーなどのセレブたちが、マタニティ・ヌードフォトを披露している。結果、リーボヴィッツのセンセーショナルな写真が示した「多様な身体美」は一定の支持を獲得した反面、個々の写真が持つ「身体美的判断の攪乱機能」は薄らいだように思う。