
Photo by Gabriela Pinto from Flickr
前々回のコラム「〈元AV女優〉の過去を暴き、女性を記号まみれにして大悦びのオジサンたち」には、コメント欄でもSNSでもいろんな意見が寄せられました。さすがは世間の耳目を集めた一件だなと実感する一方、それから3週間ほどが経ち、もうほとんど話題にのぼらなくなったことに、消費の早さを感じてもいます。
イナゴの大群のように一瞬にして喰いつくし、次なるネタに移動していくそのスピードにポカンとすると同時に、私自身に対しても「自分だって、記号を利用して商売をしている」という意見が寄せられたことに驚きました。「OLです、バイブコレクターです」というのは、ただの属性です。自己紹介です。本人がそう名乗るのと、それを勝手に記号化し、消費するのとはあきらかに別のモノではないでしょうか。
「職業はナースです」といったそばから、「ナースってエロいよね」とポルノによってさんざん記号化されたイメージを押しつけられたら、とても不快だし理不尽です。もっというと女性が自分から「私は性に奔放」と公言したからといって、それをビッチと記号化して「だったら何やってもいいよな」という目で見ていいわけではありません。極端なたとえかもしれませんが、こういう考え方は「露出度の高い服を着ている女性は、痴漢されても仕方がない」というのと等しいように見えます。
ただ、個性や属性を明らかにするほど、記号化され、消費されやすくなるのはたしかです。消費のなかには、バッシングも含まれています。私はオープンにしている情報がとても少なく、年齢も公開していないし顔も出していません。媒体に掲載される写真は顔の下の部分だけでトリミングするか、仮面をつけています。それなのになぜか「BBA乙」とか「本当はブスのくせに」とか、そんな声がたびたび寄せられます。そう思うには何かしらの根拠があるのでしょうし、そこに反駁する気はありません。ババア&ブスだと思いたいなら勝手にそうすればいいと思うだけです。これは記号化でも何でもなく、ただの幼稚な悪口です。
容姿も年齢も関係ないのに
けれど、こういう発言の裏には「ブスやババアはセックスを語るな」という苛立ちが隠されているのではないかと気づいたとき、とてもイヤな気持ちになりました。若い美人が性を語る……たしかにとても絵になります。エンタテインメントの世界では、それが第一条件なのも承知しています。
ずいぶん以前に『人のセックスを笑うな』という小説を読みました。映画化もされたヒット作なので、ご存知の方も多いでしょう。

専門学校生役はマツケン。DVD『人のセックスを笑うな』
19歳の専門学校生クンと、39歳の女性教員との関係を描く恋愛小説ですが、その女性はきれいでも何でもない中年女として描かれていました。でも、その人なりのチャーミングな面に惹かれて、専門学校生クンは彼女と関係を持つ……という内容だったと記憶しています。カサカサのかかとを愛しく思うシーンもあったような(うろ覚えですみません!)。そんなところをかわいいと愛でてもらえるって、すてきですよね。
でも、映画化されたときにその中年女性を演じたのは、永作博美さんでした。年齢よりずっとずっと若く見えるベビーフェイスの代表格。これほどまで年齢を感じさせない美人を前にしたら、19歳の少年でも惚れて当然でしょ、と鼻白んでしまいました。映画はビジネスですから当然のキャスティングだと思いながらも、これでは不美人な中年女性に惹かれる少年の機微も見えなくなってしまうと感じたものです。
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