「女性の貧困」が社会問題として認知されてきている昨今。2014年1月にNHKで放送された特集番組は大変大きな話題を呼んだ。
鈴木大介の『最貧困女子』(幻冬舎)もまた、このテーマに切り込む新書だった。書名は「草食系男子/肉食系男子」を彷彿とさせる、ポップなものだけれど、著者が長年取材してきた貧困にあえぐ女性たちの凄惨な日常は、読んでいて胃がキリキリと痛んでくる。これが「年収が少なくても、若者たちは知恵を駆使して幸福に暮らしています!」というレポートだったら、むしろ良かった、と思えるほどに。
「最貧困女子」は、そうした「マイルドヤンキー」や「プア充」といった言葉でくくられる層ではない。性風俗産業(セックスワーク)の底辺で生活する、多くは、親からの暴力や虐待を避けるように家出をした女性たちだ。
地方から大都市のストリートへと漂流した彼女たち。親や地縁、あるいは行政といった本来ならばセーフティネットとして機能するはずのものと無縁となった少女たちは、金銭もケータイも寝床も保証されない状態へと置かれる。そこで手を差し伸べるのは「路上のセーフティネット」である。
それは善意の支援団体などではない。違法デリヘル業者や買春男といった存在だ。少女たちが自分たちの体を商品として差し出す代わりに、路上のセーフティネットは、金銭やケータイを与え、ときには他人名義の保険証を貸し出すことまでおこなう。そうして少女たちは自分たちの居場所を確保することに成功する。もちろん、それはフェアな取引ではない。痛み止めの成分を含んだゼリーを女性器に塗りながら、性行為をしなくてはならないほど少女たちは酷使され「使い物」にならなくなれば、無情にも見捨てられてしまう。
頭が良ければ業者側に回ったり、容姿に恵まれていれば18歳を超えたところでもっとワリのいい風俗店に移籍して働いたりすることもできる。あるいは、恋愛対象の男性と出会うことで別な居場所を確保する女性もいる。しかし、若くもなく、頭も良くなく、容姿にも恵まれていない少女たちは、見捨てられたままだ。
やがて路上のセーフティネットからも無縁となった彼女たちは、出会い系サイトや街娼をしながら顧客をみつけ、漂流するほかない。彼女たちの商品としての価値は、落ちるところまで落ちている。何をされても文句が言えない環境下での彼女たちの生活ぶりは、普通に両親祖父母に囲まれて育ち大学進学して正社員として働く男性である自分には、「別世界」のように読める。
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