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依存/貧困/無縁のおにぎりコスメ少女たちが、自爆恋愛から脱け出すには

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柴田英里

(C)柴田英里

 話題の新書となっている、鈴木大介著『最貧困女子』(幻冬社新書)を読んだ。そこには、「これがフィクションであればどれだけ良いだろうか」と読後鬱々としてしまうほど、救いのない日本の風景が描かれていた。

 「風景」とあえて私が言うのは、それが当たり前の日常としてどこにでも存在していると思うからだ。

(関連記事:『最貧困女子』レビュー/「最貧困女子」は我々の世界と地続きである、はずだけれど。

 ショッキングな内容の連続とはいえ、実は私は、同書で綴られる未成年の売春問題に関しては、初耳ではなかった。

 『デコログ』の「FASランキング」や、『クルーズブログ』の「ママカテゴリ」などを閲覧していると、同書で描かれる「最貧困少女」や「出会い系シングルマザー」たち以上に悲惨で衝撃的な「家族の無縁・地域の無縁・制度の無縁」の中で生きる未成年の少女たちの「来歴肯定・自分語り」に遭遇する。

 しかし私は、今までそうしたものを見ていながらも、どこかで「え? こんなの作り話でしょ?」「携帯小説の変化形だよね?」と思っていた。

 「最貧困少女」たちは、「おにぎりとコスメ」に飢えているという。家出少女の多くが、過去の小学生時代などに万引きの経験があったり、万引き常習犯だったりするのだが、その盗んだ商品の多くがおにぎり=食品と、コスメ=化粧用品だったことから鈴木大介氏が考えついたという「最貧困少女」のキーワードだ。

 「おにぎりとコスメ」に飢えたこともなく、「欲しいものは親に買ってもらうのが当たり前」とすら思いながら不自由なく育った自分にとって、「最貧困少女」の置かれた環境は、頭ではわかっていてもやはり、「本当だとは思えない」「本当だとは思いたくない」くらいにショッキングな内容だったのだ。

 『最貧困女子』では、そんな少女たちを「買春」することで自己実現・自己肯定感を得ている買春男性が現状担う「どうしようもない必要悪機能」にも言及している。セーフティネットのない少女には買春男が「善」として機能してしまうのか、と己の無力感に打ちひしがれた。

 同時に、地方デリヘルの店長が

「女にとって、最後まで奪われない財産ってなんですか? 女であることですよね」(p151)
「『ウリ(売春)は素人、風俗はプロ』ですからね」(p151)

 と、『女が女を格付けしあう世界』のお膳立てをしていると臆面もなく明かすことには単純に腹が立った。彼は女性間にヒエラルキーを形成させることで、自分たちがしている搾取を見えにくくしたり、『商品としての女』を扱いやすくしているが、彼だけが特別にそうなのではなく、業界ではその姿勢が当たり前になっている。

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柴田英里

現代美術作家、文筆家。彫刻史において蔑ろにされてきた装飾性と、彫刻身体の攪乱と拡張をメインテーマに活動しています。Book Newsサイトにて『ケンタッキー・フランケンシュタイン博士の戦闘美少女研究室』を不定期で連載中。好きな肉は牛と馬、好きなエナジードリンクはオロナミンCとレッドブルです。現在、様々なマイノリティーの為のアートイベント「マイノリティー・アートポリティクス・アカデミー(MAPA)」の映像・記録誌をつくるためにCAMPFIREにてクラウドファンディングを実施中。

@erishibata

「マイノリティー・アートポリティクス・アカデミー(MAPA)」