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西野カナ同様、平安時代の貴族たちは会いたくて会いたくて震えていた

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どうして恋歌は西野カナみたいになってしまうのか?

 もちろん『万葉集』には、「あなたが死んで悲しいなあ」とか「人間って儚いよね」とか、いろんな歌がありますが、前述の通り、一説には約7割、3000首ほどが恋愛がらみの歌だと言われています。恋愛が絡むと男女問わず、みんな西野カナみたいに「会いたくてツラいです」「ずっと一緒にいたかったのにそれが叶わず残念です」と募る想いや叶わぬ恋の嘆きを吐露する流れに。

 平安時代の歌詠み人が西野カナみたいに「会いたくて」仕方なくなっていた理由は、考えてみれば当然です。当時の結婚や恋愛の形式は、今と違って基本的に「通い婚」(男性が女性のところに通う)だったから。夜になると男性が女性のもとを訪ねて、一晩を過ごす。お互いにずっと一緒にいたくても、朝になったら別れなくちゃいけなかったし、男性が次の晩も同じ女性の家に通うという保証もない。それって関係としては、とても不安定ですよね。

 『万葉集』に収められた恋歌は、そういう不安定な状況で生じた「会いたいよ」「好きすぎてツラいよ」という気持ちの結晶です。つまり「会えないふたり」をつなげていたのは、和歌だったのですよね。実際の「会えない理由」が「他の女のところに行っていた」ということもあったでしょうけど、こういう昔の風景は、実に西野カナの歌詞に登場する「ケータイだけでつながっているカップル」とも重なります。

 要するに私には、西野カナが「現代的な表現者」でも「ギャルの心を代弁する歌手」でもなく、すごく古典的な表現をしているように思われてならないのです。また、西野カナの「会いたい」とただ繰り返す歌詞が、稚拙な表現だとも思いません。西野カナが稚拙なら『万葉集』の歌人たちも稚拙だ、ということになってしまいます。シンプルで平易なワードしか使われないのは、現代社会に生きる多くの人が理解できるようにするための心配りであり、また切実さの表現でもあると受容されるべきでしょう。

 それゆえ「西野カナの歌に感動している女はレベルが低い」という話はまったくの見当違いだと思います。西野カナの表現に感動できる若い女性は、きっと『万葉集』にもハマる素養があると思いますし、「会いたい」表現の受容者は大昔から存在していたハズなのです。そうでなければ『万葉集』が現代まで読み継がれるわけがありませんもの。

■カエターノ・武野・コインブラ /80年代生まれ。福島県出身。日本のインターネット黎明期より日記サイト・ブログを運営し、とくに有名になることなく、現職(営業系)。本業では、自社商品の販売促進や販売データ分析に従事している。

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カエターノ・武野・コインブラ

80年代生まれ。福島県出身のライター。

@CaetanoTCoimbra