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優等生的な「正しさ」を求める無意識の危険性について

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(C)柴田英里

(C)柴田英里

 田房永子さんが連載するネットコラム『女印良品』の、12月15日に更新された『いつまで「料理」「料理」言ってんだ』というエントリを読んで、非常にモヤモヤしています。

 内容は、11月に京都で67歳の女性が殺人容疑で逮捕された事件を機に注目されている「高齢者婚活」について。田房さんは、「保険金目当てでもいいから、奥さんが欲しい」というスタンスで高齢者婚活に励む自炊ができない(したくない)老人男性に対し、とても辛辣です。以下、上記エントリからの引用。

 “あったかい料理を作ってくれる人がいて、それを食べれるほうがそりゃいいだろう。だけどそのためには相手が「お金」目的でもかまわない、むしろ相当する額の金を与えられるほどの権利を自分は持っていると相手に提示する。その感覚は、二人で共同生活を送る「結婚」という概念からはかけ離れていて、もはや「人身売買」と呼ぶほうがしっくりくる。

 この見解を私は少し言い過ぎではないかと思いますし、個人的には、田房さんの言うところの、“人身売買のような結婚”を望む老人男性がいるにしても、後から「保険金目当ての女に騙された!」と後悔することを含めて個人の自由だと思っています(認知症などにより著しく判断能力が低下していると思われる場合を除いて、本人が「自ら騙されて死ぬ」という選択をするのであれば、それは幸福と言えるとすら思います)。

 上記エントリでの田房さんは、「男は家事育児、料理を女に押し付けてきたことについて真剣に考えてくれ」という訴えを綴っています。しかし現代日本の「結婚」をめぐっては、いくつもの問題が山積しており、各家庭や男性ひとりひとりのプライドという点だけに還元するのは正解ではないと思います。

 男女の雇用賃金格差や労働環境や育児支援・設備などの不足。それによって、「夫婦どちらか給与の低い方が家事労働を負担する」となったとき(家族間で何とかしなければならない、ということ自体にも疑問を感じますが)、女性側がその役目を押しつけられやすいこと。現状の生殖医療や生命倫理上、女性の肉体を経由した出産システムからどうにも逃れられないということ。出産によって女性が社会進出を阻まれたり、昇進機会などキャリアアップの道を狭められてしまうこと。さらに「三歳児神話」や「母性神話」といったトンデモ理論が、女性個人個人に「育児と仕事を両立できない罪悪感」を抱かせること。まだまだあります。

 正直に言えば、田房さんの文章から、私は優等生的な、「正しい社会」「正しい家庭」「正しい女」「正しい男」「1人1人が正しくある社会とごみ1つなく奇麗な街」を求めるような潔癖を感じ、少々苦手に思ってしまいます。書かれているテーマや洞察はとても興味深く、「とても読みたい」と思うにも関わらず、読後いつもモヤモヤしてしまうのです。

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柴田英里

現代美術作家、文筆家。彫刻史において蔑ろにされてきた装飾性と、彫刻身体の攪乱と拡張をメインテーマに活動しています。Book Newsサイトにて『ケンタッキー・フランケンシュタイン博士の戦闘美少女研究室』を不定期で連載中。好きな肉は牛と馬、好きなエナジードリンクはオロナミンCとレッドブルです。現在、様々なマイノリティーの為のアートイベント「マイノリティー・アートポリティクス・アカデミー(MAPA)」の映像・記録誌をつくるためにCAMPFIREにてクラウドファンディングを実施中。

@erishibata

「マイノリティー・アートポリティクス・アカデミー(MAPA)」