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他者への共感でしか自己肯定できない―共感過剰から生まれる正義と暴力

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(C)柴田英里

(C)柴田英里

 メリークリスマス。昨日はクリスマスイヴ、リア充が割高感溢るるレストランのクリスマスディナーや、芋洗いそぞろ歩きのイルミネーションの下に群がり、非リア充がSNSで妬み嫉みがテーマの話芸を披露する。そんなクリスマスイヴ。

 今年は例年より、前者も後者もパワーダウンした印象でしたが、それはハロウィンのリア充イベントとしての本格的定着により、渋谷が騒然となったインパクトがあったからかも知れません。

 家族や恋人たちがお金をかけて愛を形にするクリスマスよりも、コスプレしてみんなでワイワイ騒ぐだけのハロウィンの方が、より「とりわけ自分に関係ないイベントに便乗して騒ぐ」という多神教的エピキュリアニズムに即している上に、「他者からの評価をさほど気にすることなく自分がどうしたいか」を体現する要素が強い。そのうえ高価なプレゼントを贈り合う風習のない行事なのでクリスマスより費用も押さえられます。ハロウィンが広まれば広まる程、クリスマスイヴに「便乗して騒ぐ」意味が薄らぐ人は多いかもしれません。

 さて、唐突ですが、私はこの、「便乗して騒ぐ」という行為が結構好きです。無責任に、お気楽に、愚にもつかないものに対して毒にも薬にもならない間の手やチャチャを入れるという、誰も傷つけない無責任さ加減がかなり心地よいのです。

 私は、現在の私たちを取り巻く環境は、かなり自己責任と共感が過剰だと思っています。Facebookにおける、さして興味のない物事にも逐一「いいね」を押さなければならないような同調圧力や、LINEの既読無視が非人間的悪しき行為のように疎まれるといったことをはじめ、責任を持って誰かに共感し、輪を乱さないよう尽力することがなぜだか当たり前になっているように思います。そうした状況にかなりの息苦しさを感じるのですが、下手に無責任さを発露すると、責任と共感の圧力によって無駄に制裁されてしまうので、慎み深い不義理者程度から逸脱しないように努めております。

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柴田英里

現代美術作家、文筆家。彫刻史において蔑ろにされてきた装飾性と、彫刻身体の攪乱と拡張をメインテーマに活動しています。Book Newsサイトにて『ケンタッキー・フランケンシュタイン博士の戦闘美少女研究室』を不定期で連載中。好きな肉は牛と馬、好きなエナジードリンクはオロナミンCとレッドブルです。現在、様々なマイノリティーの為のアートイベント「マイノリティー・アートポリティクス・アカデミー(MAPA)」の映像・記録誌をつくるためにCAMPFIREにてクラウドファンディングを実施中。

@erishibata

「マイノリティー・アートポリティクス・アカデミー(MAPA)」