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ドラマ『問題のあるレストラン』第一話が描いた「人間を社会的・精神的に殺すことの罪」

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柴田英里

(C)柴田英里

 真木よう子主演のテレビドラマ『問題のあるレストラン』(フジテレビ系)が面白いです。

 あらすじを簡単に説明すると、男社会で理不尽な目にあった女性たちとゲイが、主人公の田中たま子(真木よう子)を中心にしてビストロを開店し、ライバルの男性たちに勝負を挑むコメディドラマです。

 ネットで感想などを調べてみると、このドラマは賛否両論大きく分かれています。

 視聴者の評価が大きく分かれた原因は、第一話の男社会の理不尽あるある描写が、誇張されていたとはいえ、実際には、まだまだどこにでも現在進行形で存在する問題ばかりでコメディドラマなのに全然笑えないものだったことにあるように思います。

「採用面接の段階での男性から女性へのセクハラ発言」
「飲み会における女性社員のキャバ嬢扱い+セクハラ」
「女性部下の仕事の成果を根こそぎ男性上司が奪う」

 第一話から炸裂したこれらのセクハラパワハラフルスロットルみたいな描写の極めつきは、たま子の高校時代からの友人・藤村五月が、勤務企業の飲食店舗で発生した食中毒事件のすべての責任を負わされ、「二十数人の男性社員の前で全裸で謝罪することを強要される」というものでした。

 この「全裸謝罪」の描写は、視聴者に「いかに酷いセクハラが存在するか」を示し、たま子たちが今後起こす行動の正当性を見えやすくするための演出なのだと念頭に置いてもなお、ものすごく胸くそ悪く露悪的なものでした。二十数人の男性社員の中には「全裸謝罪はちょっと……」と内心思いながらも意見できずに苦悶の表情を浮かべる人もいましたが、セクハラ•パワハラを第三者が止められない時点で、その組織は大きな問題を抱えています。

 さて、視聴者が「胸くそ悪くなる」ことを想定したこのシーンで、不愉快な気持ちになる人が多く出たことは当たり前です。「全裸謝罪は誇張しすぎ」「女性がかわいそう過ぎて見ていられない」「ここまで露悪的に描かなくても良いのでは」等の視聴者意見はきっと、制作側の想定の範囲内でしょう。

 このドラマがこのシーンを露悪的に描写したことを「視聴率稼ぎ」とか「女性が苦しむ描写自体が悪だ」などと断罪する向きすら一部にはあるのですが、その前に、「露悪的である意図」を、もう少し深く考えてみると、「全裸謝罪」は「殺人」のシーンでもあるように思います。藤村五月という一人の女性が、社会的•精神的に殺されるシーンです。

 しかも、憎しみや恨み故の殺人ではなく、彼女に全裸謝罪を要求するのは明らかに「女に全裸謝罪させるとかおもしろくね?」という意図での愉快犯です。一人の女性の社会的立場と精神をズタズタに引き裂き嬲り殺すこのシーンが、最大限胸くそ悪く露悪的であることは、「視聴率稼ぎ」以上に、「人間を社会的•精神的に殺すことの罪」を描く目的があったからではないでしょうか。

 『「全裸謝罪の中止」を意見できずに苦悶の表情を浮かべる男性社員』は、直接の加害者ではありませんが、間接的な加害者です。このシーンの露悪性は、私たちはいつでも「見たくない」という気持ちによって「間接的な加害者」になりうること、また、直接の加害者に比べて、間接的な加害者は圧倒的に多いということの表現でもあります。

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柴田英里

現代美術作家、文筆家。彫刻史において蔑ろにされてきた装飾性と、彫刻身体の攪乱と拡張をメインテーマに活動しています。Book Newsサイトにて『ケンタッキー・フランケンシュタイン博士の戦闘美少女研究室』を不定期で連載中。好きな肉は牛と馬、好きなエナジードリンクはオロナミンCとレッドブルです。現在、様々なマイノリティーの為のアートイベント「マイノリティー・アートポリティクス・アカデミー(MAPA)」の映像・記録誌をつくるためにCAMPFIREにてクラウドファンディングを実施中。

@erishibata

「マイノリティー・アートポリティクス・アカデミー(MAPA)」