人形とフィギアの差異はまだあります。人形は「理想化された人間、理想化された女性」と捉えられることが多く、フィギアは「キャラクターの身体の理想化・実体化」と捉えられがちだという点です。
人形の歴史には、オレオ社とマテル社によって発売された黒人バービードール「オレオバービー」が、大きな唇やヒップといった黒人女性の多くが持つ特徴を持たず(着せ替え人形ゆえに、大きなヒップは衣服の互換性を弱めるという背景もあるのでしょうが)、肌の色だけ黒いという外見であったため、人種差別問題に発展しました。「黒いのは外側だけで中身は白いオレオのような、白人のアイデンティティを植え付けられた黒人の表象」と捉えられたからです。
この「オレオ問題」をはじめ、ヒスパニックやインディアンの「りんご問題」アジア人の「バナナ問題」など、「表面的には多様な民族であるように見えるが、価値観やアイデンティティは白人である」と捉えられる問題を抱えてきた背景があります。ゆえに、民族のアイデンティティや同民族間における女性美の在り方などが問われることが多くありますが、固有のキャラクターを具現化したフィギアが人種やアイデンティティの問題と関連づけられることは今のところありませんので、「人種や固有の民族のアイデンティティを自覚的に持たない人間としての在り方」としてフィギアの身体に興味を持つ人もいるように思いますし、もとは二次元だった身体に近づくことは、人間から逸脱したいという欲望でもあるように思います。
シワやたるみは、身体の情報のうちの一つです。それはアイデンティティでもありますが、「衣服」をメインで見せるときは、それらの情報が目立ちすぎて、肝心な衣服が霞んでしまう場合もありますし、視点が固定された平面上では動画よりもよりいっそう目立ちます。
平子理沙がフィギアを愛好することには、主に雑誌で活躍するファッションモデルとしてのプロ意識の在り方と、シワやたるみのないパツンパツンの身体への欲望と肯定感が感じられて、とても興味深いです。
美容整形やアンチエイジングに関して「若さ信仰である」「年相応でなく滑稽」「不自然・違和感が半端ない」などのネガティブな意見が出る事はよくありますが、私は、その個々人が思う「美」に迫る過程で「自然な人間」とされている姿から半歩踏み出た不気味さや違和感にとても惹かれます。
その人が生きて刻んだシワやたるみも魅力のひとつですが、その人が自らの意志によって入れたプロテーゼやボトックスによる「不自然さをともなう張り」も、同様に魅力的に見えます。
それに、「不自然さ」や「違和感」を否定する自然信仰的なもの、けがや病気以外は身体にメスを入れるべからず。という考え方の方が、人の多様な価値観や生き方に対してずっと抑圧的で差別的だと思います。
「若ければ良い」という考えが「若さ至上主義」であれば賛同できませんが、「若さは美のうちの一つであるが、美とは若さだけでは成り立たない」ということに基づいて個人が自らの外見を選択できることは良い事であると思いますし、「美容整形」や「アンチエイジング」などをはじめとした身体改造によって自分の身体を所有し直したい。という欲望は肯定されるべきです。
平子理沙のようにフィギアを愛している人が、フィギアのような身体のありようを欲望する姿勢には一貫性がありますし、彼女の魅力の一つとして機能しているのではないでしょうか。
■ 柴田英里(しばた・えり)/ 現代美術作家、文筆家。彫刻史において蔑ろにされてきた装飾性と、彫刻身体の攪乱と拡張をメインテーマに活動しています。Book Newsサイトにて『ケンタッキー・フランケンシュタイン博士の戦闘美少女研究室』を不定期で連載中。好きな肉は牛と馬、好きなエナジードリンクはオロナミンCとレッドブルです。Twitterアカウント@erishibata
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