「まさか私が、DVを受けるなんて、思いもしなかった」
「彼と別れて、初めて彼からひどいことをされていたと気づきました」
「夫婦なんてこんなもの。耐えるしかないと思っていました」
DVを乗り越えた女性は、当時を振り返って、口をそろえたようにそう言います。
「真綿で首を絞められ、徐々に息ができなくなっていくような気がした」
「親や友人にもわかってもらえない。みじめで、孤独感でいっぱいだった」
「自分には何もできない、ダメな女なんだと思っていた」
という女性も多いです。
暴力(暴言や、冷たい態度、無視なども含みます)は、女性から自信や自己肯定感を奪います。そのため、多くの被害女性は、
「暴力を受けるのは、私が悪いから……」
(=私がきちんと家事や育児をこなせないから、いつも彼を怒らせてしまうんだ)
「私の我慢が足りないだけ……」
(=彼や夫には何も悪いところはない。私がわがままで自分勝手なだけなんだ)
と思い込んでしまうのです。
DVは支配欲の暴走? DVへの心得3つ
DVとは、ドメスティックバイオレンスの略で、家族、夫婦や恋人などの親しい関係からの暴力を意味します。
1.暴力は、殴る蹴るといった肉体的暴力以外にも、精神的、性的、経済的、社会的など、ざまざまな形を取ります。(詳細は後ほど出てくるので、ここはシンプルな記述にとどめたいと思います)(最近では、精神的暴力をモラハラ【モラル・ハラスメント】と呼んだりします)
2、加害者は、相手を支配し、コントロールするために、暴力を「選んで」います。
3、たとえ、恋人や夫婦であろうと、暴力を振るってもよい理由は存在しません。
私は、18歳から24歳までの6年間、交際していた男性からDVを受けていました。彼は様々な形の暴力(言葉や、態度)によって、私を支配し、コントロールしていました。 もしかしたら、今、このコラムを読んでいるあなたもDVを受け、私と同じように自分を責めているかもしれません。私は、DVのサバイバーとしてあなたにお伝えしたいことがあります。
「暴力を受けるあなたが悪いのではありません。暴力を振るう相手に100パーセント非があります」
「つらさに比較はありません。あなたがつらいと思ったら、それは暴力です」
「殴る」「蹴る」などの身体的暴力が無ければ、DVではない?
暴力かどうかの基準は、「本人がつらいかどうか」です。
殴る・蹴るなどの身体的暴力だけが、暴力ではありません。 暴言や脅し、無視、嫌味、友人付き合いや外出を制限したり、無理に働かせたり(または仕事に就くことを許さない)、生活費を渡さない、なども暴力です。
例えば、セックス。夫婦や恋人同士でも、女性が嫌がっているのに、無理矢理したら、それは性暴力です。避妊の拒否や、変態的な行為の強要もそうです。
DVは日常的に繰り返されるものです。
そのため、被害者の多くは、「私がダメだから」、と自分を責めてしまったり、「彼は寂しくて甘えたかっただけ。わかってやれなかった私が悪い」と、加害者に対して罪悪感を持ってしまったりします(相手にそう信じ込まされる)。
暴力は、人を絶望させ、無力にします。その結果、感情や感覚がマヒし、「イヤだ」「つらい」「痛い」「苦しい」ということすらわからなくなってしまうのです。
また、夫婦や恋人など、親しい関係で起きるDVは、「単なる痴話喧嘩」「夫婦喧嘩は犬も食わない」などと、甘く考えられてしまいがちです。
家族や友人などに相談しても、「よくあること」「あなたにも悪いところがあったんじゃない?」などと言われ、被害女性がなかなか声を上げにくい、助けを求めづらい状況があります。
DVは、喧嘩とは異なります。恋人や妻に対する虐待です。
「振るわれていい暴力などない」「我慢する必要はない」ということを、私は声を大にして言いたいです。
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